その「願い」が「鎖」に変わるとき~後編~

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

(ブログタイトルの画像は、Xからお借りいたしました)

前編はこちらから😊
【その「願い」が「鎖」に変わるとき~前編~】
https://original-ownlife.com/blog-2025-13/

◆前編のおさらい

前編では、「執着」という苦しみの鎖は外的要因ではなく、自分の内側から生まれてくるものであり、その根底には「私には何かが足りない」という感覚があるのではないか、という視点をお伝えしました。

後編では、その苦しい「執着」をどう緩めていくか、そして「いまここ」に戻ってくるための具体的なステップについて綴っていきますね。

◆ステップ1:まずは認める

執着を緩める第一歩は、シンプルですがとても大切なこと。

「私は〇〇に執着している」と、ただ認めることです。

「だから私はダメなんだ」「またか・・・」「いつまでもしつこい!」「どうせワタシは・・・」といった自己否定や自虐は不要です。(瞬時にでてきますけどね)

今の自分の状態を、ただ静かに見つめるだけでいいのです。

注意すべきは、「執着はダメだ」と自分を裁くこと。これをしてしまうと、「執着しないことに執着する」という、さらに複雑なループに陥ってしまいます。

たとえば、目の前で火事が起きているとき、「火事だ」とまず現状を認識するように、です。

それに対して恐怖や疑問が湧いてくるのは当然ですが、まずは「火事だ」と事実を受け止める、認める、そういう感じです。

なんだったら、誰もいないところで叫んでみても良いです「私は〇〇に執着してるんだ~~~」と。

(冗談ではなく、ほんとに。割とストンと「あ、そうなんだ」みたいに思えるかもです。少なくともグルグル思考を一旦停止させることは出来ます)

◆ステップ2:とことん悲しむことを自分に許す

執着が生まれるのは、それに深い思い入れがあるからこそ。

どうでもいいことや人には、私たち執着いたしません。

だからこそ、「それ」がもう無いという現実を、気が済むまで悲しんでいいのです。

泣いてもいい。泣き明かしてもいい。かっこ悪くてもOK, ダサくウザくてもOK。

数日続けてみると、きっと疲れ果て、そして気づくでしょう。

どんな状態でもお腹は空くし、トイレにも行きたくなるし、眠ってしまう。

身体はいつだってフル稼働で心臓や内臓を全て動かし、「生きたい」とあなたに語りかけています。

執着を「ダメだ」と自己裁判してしまうと、この「悲しみ抜く」プロセスができません。

そんな自分もダメだ!となるからです。

そしてこの自己裁判って、裁判官も被告も陪審員も全て自分なのです。

無理やりポジティブになろうとしても、すぐに元に戻り、また自分を責めるという更なる悪循環に陥ってしまいます。

それどころか、「悲しみのどん底」という自分自身の本音に嘘をつくことになるので、状態は更に悪化します。

因みに毒親さんと呼ばれる人たちは、ずっとず~~~~っとこれ(自分の本音に嘘をつく)をしているのです。

だからもう、核心に迫ると逃げる、また逃げるという回避的な人生となり、人間的な成長が停まり、そして人間性や人格が後退していくのです。

◆ステップ3:不足感に気づく

悲しみを十分に味わった後は、「執着しているのは、自分に何かが足りないと感じているからでは?」と問いかけてみましょう。

「それ」が無ければ、自分はもうダメだ、生きていけない——そんな極端な不足感や不全感が心の奥に潜んでいませんか?

手放したくない「それ」には、必ず理由があります。

その理由は多くの場合、自分の中の強い不安や恐れと深く結びついています。

たとえば:

「この仕事以外できない」「転職なんて無理」という自己価値の過小評価

「この人に見捨てられたら、一生独りぼっちかもしれない」という見捨てられ不安

「この人以外に私を愛してくれる人はいない」という自己否定の前提

◆ステップ4:事実を見つめ直す

「もう自分はダメだ、生きていけない」という思い込みは、本当に事実でしょうか?

鏡を見て、自分の名前を呼んで、問いかけてみてください。「本当にそうなの?」

誰かとの別れや解雇などの出来事が、あなたの自己価値や存在意義と強く固く結びついていませんか?

そして気づいてください。

「それ」を失っていても、あなたは今ここに、確かに生きているという事実に、です。

◆ステップ5:納得できなかった想いを見つめる

執着は、報われなかった想いや労力、そして理不尽さと結びついていることが多いです。

納得できないからこそ、執着するのです。

そこで冷静に振り返ってみてください。

「それ」を失う前から、あなたはずっと何か我慢していませんでしたか?

「それ」を守るために重ねてきた我慢、です。

つまり、失う前提でいたのではないでしょうか?

違和感を感じながらも、「きっと大丈夫」「何でもないわ」「これくらい」「たまたまよ」と自分を説得して見逃していたこと、ありませんか?

私は、あります(実体験です)、というか「ありました」「大いにありました!」😣😥

失ってから執着が生まれる場合、「それ」が在った時も、あなたの我慢の上にやっとこさギリギリ成り立っていたのかもしれません。

◆執着がもたらす弊害①:心の自由を奪う鎧(よろい)

もともと「願い」だったはずの執着は、自分の心の奥底の大きな怖れを守る「鎧」のようなもの。

けれどその鎧はやがて鎖となりあなたの動きを止め、心の自由を奪い、本来の輝きを覆い隠し封じ込めます。

執着を手放す過程とは、無力感からの諦めではなく、自分の心の奥にある怖れの更に奥にある「愛」を見つける旅です。

生きていく気力さえもそぎ落とされる深い深い悲しみ。

それほどまでに、「それ」はあなたにとって大切なものだったのですよね。全身全霊で愛していたんですよね。

◆執着がもたらす弊害②:視野の狭窄

「これしかない」「これがないと、もうダメだ」という固定観念は、あなたの有限人生のあらゆる可能性を大きく損ないます。

顕微鏡をメガネ代わりにして歩いているような状態では、「それ」しか見えず、周囲にあるチャンスや楽しみが見えなくなってしまいます。

運も素通りして行ってしまいます。

またまた因みに、ですが

あなたを苦しめる毒親さんやシンドイ兄弟姉妹などは、もう長い間こういう状態なのです。だから全く変わらないのです。いや自ら「変わらない」を選択し続けていると、言えます。

理由は「変わりたくないから」です。

つまりは「自分を成長させない選択」を、自らし続けているということです。

◆ステップ6:いまここにあるものを見つめる

失ったものばかりに目を向けるのではなく、いまここに確かにあるものを再確認してみましょう。

衣食住を満たせている環境、働く場所、健康な身体、暮らせるだけのお金、気にかけてくれる友人、本、映画、お気に入りのカフェ などなど

執着する「それ」はただの1点かもしれませんが、いまここにあるものは、決して1点だけではないはずです。

沢山のものが実際周りに在り、だからこそ私たちは「いまここ」に確かに生きているのです。

◆最後に

それでもどうしても苦しくてたまらない方は、ぜひお試しカウンセリングをご利用ください。

お力になれるよう、少しでも楽になれるよう、精一杯伴走させていただきます。

そして私と一緒に

「なぜ自分はこんなに苦しいのか」——その答えを、先ずは自分自身が大切な自分のために見つけてあげませんか?

自分を縛る鎖と化した「それ」って、実は「それ」そのものではないかも知れません。

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。