走り続ける人、うずくまり続ける人。真逆なのに、なぜか有る2つの共通点とは?

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

私は常々、「状態は真逆だけど、根本は同じ」というようなことを考えたり、自分なりに発見したりすることが大好きです。

小さな頃から、黙々 グルグルと一人でそんなことを考える子どもでした。

◆あなたはどちらモード?

このホームページ内の「初めての方へ」、自分の写真の下にもやはりそれを書かせて頂いています。

「止まるのが怖くて、走り続けてしまう人」
「立ち上がるのが怖くて、うずくまり続けてしまう人」
https://original-ownlife.com/

私は圧倒的に前者「止まるのが怖くて・・・」モードで、走りに走って生きて来た一人です。(そして40手前でほぼ倒れました・・・いわゆる「社畜」です。ほんまに死ぬかと思いました。)

毒親・機能不全家庭育ちのアダルトチルドレンあるある!のうち、私のようなタイプは「拮抗禁止令(ドライバー)」を多く持ち(頑張らねばならない(さもなくば・・))、後者の「立ち上がるのが怖くて・・・」モードの方は、恐らく「禁止令(ストッパー)」(〇〇してはいけない) を持ってらっしゃるのでは、と思います。

禁止令の詳細については、こちらから
禁止令(ストッパー)と拮抗禁止令(ドライバー)

「止まるのが怖くて・・・」は、ある意味能動的な生き方とも言えます。
「立ち上がるのが怖くて・・・」は、一見すると受動的な生き方に見えるかも知れません。

◆問題は、いずれもその大変な極端さ

ただ時と場合により誰しも,能動的なとき、受動的なときありますよね。

得意分野は能動的に動けるけど、苦手分野や新しい事には尻込みし受動的になったりするのって、人間として極めて普通のことです。

なのでどちらが良い悪いではなく、アダルトチルドレンの場合それらの特性が「極端過ぎる」ことが生きづらさに繋がり、問題なのです。

アダルトチルドレンの特性は、こちらから
https://original-ownlife.com/zetsubo/#AC

別にずっと走らなくて良いし、ずっと止まっていなくても良いわけでして。

走れるときは走る、止まる時は止まる、自分の心身の状態に合わせて自分の状態を変えれば済むことなんです。

◆よく考えると、行動動機も変だ~!

そしてね、「走り続ける」も「うずくまり続ける」も、冷静に考えると行動動機が実に奇妙なのです。(自らカウンセリングを経て、やっと気づいたことです’)

どちらもですね、「そうするしかない!!」(それ以外に道はない!)というかなり視野狭窄な状態で、そして 「そうし続ける」のです。

なぜなら「そうしていないと、何かとてつもなく怖いことが起こる!(に違いないっ)」と無意識に思い込んでいるからです。

何十年もですよ!で、全然それに気づかないの。

その両極端な行動にある「同じもの」は「怖れ」です。

そんなことを考えておりましたら、たまたま私が以前1年間お世話になったカウンセラー(以下、先生)のこんなブログが目に留まりました。

先生は後者「立ち上がるのが怖くて・・・」つまりは、親御さんから大切にされ過ぎ全て何でも親に決められてきた、いわゆる過干渉タイプの親に育てられたそうです。

なので大人になり目の前に選択の自由が有っても、怖くて選べない。

なぜなら選ぶ基準がいつもそれが「親から見て正しいか否か」だからです。(これは難しい。ビンゴ!となる気がしません。だって親って言っても自分じゃないものね)

私は真逆でした。

父母共に情緒不安定で全てに於いて余裕のない親でしたので、私はかなり幼いうちから父母を睥睨していました。

ギャンブル・借金を繰り返す父と、ヒステリックに嘆くだけの母。

「あの人らはバカだ」と思って育ちました。

なので何かするときも「こんな親に相談しても無駄」だから「何でも自分で決めて自分で何とかしないと!」

そうやって生きてきました。

◆真逆な状態なのに、なぜかガッツリある共通点

真逆の生育環境ですので、子どもに表れる影響も真逆です。(実際に子供に表れる影響は、人によりそれぞれで多岐に渡ります。)

共通点の一つは、上述した根底にあるとてつもない「怖れ」。

そしてどちらにも無いもの。それは「信頼」です。

いつも親基準の場合は「自己信頼」が欠如し、いつも自分基準の私「他者信頼」が非常に欠如しています。

どちらもね、とても辛いんです。

独りぼっちなの。

◆他者信頼が大きく欠如していると・・・

25歳で仕事の為に香港へ来た私は、毎日日付が変わるまで膨大な仕事量を一人でこなし続けていました。上司にも部下にも同僚にも、誰にも頼めなかったんです。

いや、「人に頼む」という選択枠自体がそもそも自分には無かったのです。

だって・・・自分しか信用できないから、です。

だって・・・「全部」「ちゃんと」できないと、私役立たずって言われるんだもん(って、一体誰に?って感じですが)

◆死にかけ3秒前になって、やっとこさ立ち止まれた私

こんな働き方を、実に25歳~40歳までしていました。←長すぎ。

いや、もっと以前から何かに追い立てられるように走っていたと思います。

当時は娘も小さく、2歳半からは母子家庭でしたので、削れるのは自分の睡眠時間しかありませんでした。

毎日3~4時間ぐらいしか寝ないで、休みの日も仕事を持ち帰り6時間は仕事していました。そして30後半から段々と体調が悪くなっていきます。昼間でも視界がぼやけ、歪んでいるような感覚がありました。

ベスト体重も切り、動悸も感じるようになりました。

そんなある日、たまたま突発的に声をかけた古い友人の一言で、私は目が覚めました。

「死ぬ前提で毎日働くって、ワタシそもそも何かオカシクない?」
そして、なりふり構わず40歳で転職しました。もう心身ギリギリでした。

あのまま働いていたら、間違いなくこのブログを書くことはなかったでしょう。

◆ちょっとだけ立ち止まってみてください

仕事だけとは限りません。

家族のために、伴侶のために、子供のために「私は!頑張らねばならない!私が!頑張らねば!もっと頑張らねば!」と、こんな切羽詰まる日常を生きられている方。

その生き方、本当に必ず限界が来ます。ちょっとだけ立ち止まり、どうかご自身に聞いてみてください。

「本当に私はこれでいいの?これからもそうして生きたいの?」

「本当にこういう生き方がしたかったの?」

「私、本当に本当はどうしたいの?」

もしその立ち止まりのついでにカウンセリングにてお話しくださるなら、あなたの本当の声が聞こえるかも知れません。

一生懸命蓋をしていた謎とも思っていなかった沢山の謎が、どんどん解けていくこともあります。

自分が自分を知ることで、あなたご自身が楽になり、そしてあなたの大切な人も楽になります。

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。