時は金なり、よりズシンと来る事実【時は〇なり!】毒親育ちの2傾向について

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

日本も梅雨ですね。実家の庭に咲いていたアジサイを思い出します。

そして梅雨明けに思いを馳せると、いつも思い出すのが夏休みの始まり!

関西で25歳まで暮らした自分としては、セミの鳴き声、ラジオ体操、夏休みの宿題、夕立後のアスファルトの香りなどなどが「梅雨明け」から夏への印象と記憶です。

沖縄の方、東北の方、北海道の方などなど、同じ「梅雨明け」でもまた違った記憶や印象があることと想像します。

◆私たちの印象と記憶

このように人の印象や記憶というのは、自分が長く於かれた環境や強い刺激を伴う出来事に大きく左右されると言えます。

そしてその印象や記憶は、どれが正しいとか間違いとかではなく、「自分がそう感じた」「自分がそう意味づけた」が全てです。

環境、ここでは「人間関係」と「住居環境」が私たちに与える影響について、書いてみますね。

◆毒親運営の機能不全家族(家庭)で育った「私たちにとっての環境」とは

怖れ一杯で未熟・不安定な情緒の親に育てられると、子どもは家の中で愛され生き延びるために、親の依存先としての役割を果たすことが多いです。

こちらもご参考ください。【機能不全家族(家庭)】https://original-ownlife.com/zetsubo/#AC4

具体的には、親の機嫌により愚痴聞きのゴミ箱役や暴力・ネグレクトの矛先を向けられるサンドバッグ役

ゴミ箱役は親に取り込まれ囲われた感、サンドバッグ役は親から拒絶され疎外された感が強いかも知れませんが、根本はどちらも同じです。

それは「自分の機嫌や夫婦の問題を何とか出来ない(何とかしようとしない)親の依存先」であり、その受け皿ということです。

しかもどっちもかなり辛いし、苦しいし痛い。子どもながら死ぬ思い、します。

消えて無くなりたくなったりします。

その家庭には、子どもから見た「安心・安定・安全」がありません。

このような環境下では、子どもは子どもらしく天真爛漫でおられず、常に何らかの我慢を強いられます

つまりは「あなたがいてくれるだけで、とても幸せなの」みたいな、自分の存在そのものを肯定し愛してもらっているというメッセージが親から一向に感じられないため、「自分が自分であることは、正しくない」と感じる、親の不機嫌をそう意味づけしてしまうことが日常茶飯事となります。

しかしどんなに親の機嫌に合わせて求められる役割をこなし続けても、肝心の親は全く幸せにはなっていきません(実はそもそも親自身や夫婦の問題なので、子どもが頑張っても何も解決しないんです)

幼少期~10歳くらいまでの子どもは、まだ理性が発達していません。

そんな幼子が上述のような「自分が自分であることは、いけないことだ」とか「なぜ自分はこんなに我慢して頑張っても、親は幸せにならないのか?」などの理屈を思考したり言語化できるわけもありません。

それどころか、幼い自分が実は我慢に我慢を重ねていることすら自覚できないでしょう。

なぜなら「子どもだから」です。これに尽きます。

ただその小さな頭と身体の中で常にグルグルしているのは「一体どうしたらいいか、全く分からない!」ではないかな、と自分の幼少期を振り返りそう思います。

言うなれば「自分が自分であっては正しくないから、頑張って役割をこなしているけど、全く何も変わらない。ならそれも正しくない。なら一体どうすればいい?」こんな感じでしょうか。

◆自分やカウンセリングの相談者さんを見ていて思うこと

幼い頃からの役割と本人の性質や兄弟姉妹の生まれた順番にもよりますが、毒親育ちさんは大きく2つのタイプに分かれるように思います。

1. 勝ち続けるために、走り続けて止まれない人(私はモロにこのタイプでした)

2. 失敗すると決め込み、不安が強く怖くて動けない人

どちらも根本は「怖れ」なんですよ。

1は勝ち続けないと、自分は無価値という「怖れ」。

2は失敗したら、自分は無価値という「怖れ」。

どちらも親の言動や機嫌に散々振り回された結果「誰かの評価や何かの成果で、自分の存在価値が決まる」という思い込みを持っています。(あ、実は毒親も同じ思い込みを持っています)

不安定な親との関わりで、私たちが「そう感じた」のです。安心・安定の無い家庭で起こる様々な出来事の中で、私たちが「そう自分の存在価値を意味づけた」のです。

だから私たちが悪い、のでは勿論ないですよ。だって、子どもだったんですから。

どうにかしようとしても、どうしようもないことばかり、だったのです。

なので生育環境が不遇だった方は、とてつもなく大きな「怖れ」とそれをどうにもできない自分の「無力感、無価値観」を抱きながら、今まで生き延びて来られたと言えます。

◆この「怖れ」から生まれる人との関わり方

1.は物差し、2は転移。

ワケ、分かりませんよね。

下記にて説明しますね。

1はとにかく心身エネルギーメーター振り切るくらいまで走りに走り自分の価値を証明せねばならないため、一見社会的には問題ないように見えたりします。

人から見たら「とっても頑張り屋さん」です。走ることで自分を護ってきました。

当然「私はこうやって死ぬほど努力し、頑張って来た!」という自負も大きく、また成果も出ているので、人に対して己の「正しさの物差し」を振り回す傾向にあります。

好きな台詞は「私は正しい。お前は間違っている」

特に努力→成果に直結しやすい仕事に於いて、これが出やすい傾向にあります。いわゆるワークホリック、社畜になってしまいやすい傾向もあります。

また渾身の努力のお蔭で毒親より社会的に成功することも多く、親に対しても正しさの物差しを振り回します。(ほんと私はモロにこのタイプで、長いこと親に対して物差しブンブン振り回してました。そして疲弊しきり、カウンセリングに駆け込んだというか、倒れ込みました)

物差しブンブンの目的は「相手への是正」ね。

2は逆に動けないことで自分を護って来たので、行動できない理由や失敗して然るべき原因をまず探します。

あの人の物言いが怖い、誰々の威圧感が苦しい、などなど。「だって」「でも」も、多い傾向にあります。

ただ実際には、自分を阻害・攻撃してくる嫌なヤツのほとんどが、親を誰かに「転移」した幻想です。

好きな台詞は「ヤツのせいだ。ヤツさえいなければ」

挑戦の機会を掴まず、頑張らない・全力を出さないことで成功や達成を自ら遠ざけることもあるため、人生はなかなか上手く行きません。いつも負の感情が自分の中に渦巻き、何か自分以外のものが間違っているから、私はこんななんだ!私の人生はこんなんだ!と、常に誰かから攻撃されているが如く恨みを募らせていきます。

2の恨みグルグルの目的は、やはり「相手への是正」なんです。

◆そうとは知らずに親から受け継いでいるもの

このように対極かのように見える「物差しブンブン」と「恨みグルグル」は、実は同じ種です。

「相手への是正」とはつまりは、自分以外の者へのコントロールと支配。

ここまで読んで頂き、気づかれた方もいらっしゃるかと思いますが、この「コントロールと支配」こそが、私たちが機能不全家庭の毒親から散々されてきたことではないでしょうか?

◆しかも、オマケつき!

しかもオマケまであります。要らんのに!

「コントロールと支配」は、上下関係にて人と関わるからこそだったりします。

1「物差しブンブン」は人を上から目線で見ており、2「恨みグルグル」は人の下に潜ります。やり方が違うだけで、これも実は同じ種です。

不安定な親からそうされてきたことが、自分のデフォルト(初期設定)になっているからです。

◆カウンセリングで出来ること

悲しみや苦しみを吐き出し、ご自身の内なる声を聞き、本当の自分と仲直りすること。

そして親から受け取った不要な思い込みを外しながら、ご自身を大切にする許可を自分に対して出していくこと。

何より大切なのは頑張っても頑張っても「大好きな親を笑顔に!幸せに!出来なかった自分を、赦(ゆる)すこと」です。何度も何度も、自分を赦してあげること、です。

そしてそのような生き方を、新たな習慣として自分に落とし込んでいくこと。

◆あなたが決めて、選んでいいこと

これらはあなたが「幸せになる」と決め、親とは違う生き方を選んだ時からそうなっていきます。

ずっと「そこ」にいるのも人生、そこから出るのも人生です。

あなたは、これからどのように生きていきたいですか?

私たちは、選べるんです。もう自分で選んで、良いのです。

これも自分への「許可」なんです。

そして私たちの持つエネルギー(気力や活力)や肉体寿命は、有限です。

生けとし生きるものは、全て等しく最期を迎えます。

時は金なりとも言いますが、時間は正に私たちの命なりです。

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。