あなたの人生を止めてしまう【被害者ポジション】。その後に待ち受ける〇〇停止と〇〇〇化とは?~後編~

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

~前編~はこちらから
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今日も私が個人的に「ゾンビ化」と呼んでいる「被害者ポジションからの思考停止」について、書き進めたいと思います。

◆自分の人生の舞台から去り、貝になった場合の代償

自分の人生の舞台から去り主役を降板した後は、海底に沈む貝のように自分の心の扉を固く閉じてしまいます。

もう傷つくのはこりごりです。だから感情を麻痺させながら、ただ肉体維持をして命をつないでいく生き方にシフトします。

そしたら例え自分を取り巻く海がどんなに荒れ狂おうと、閉じた扉の中にいる自分は安全だからです。そうやって自分を護ります。

ただ、ちゃんとその代償も支払わねばなりません。

波にさらわれ、海流に巻き込まれ、自分の意志とは無関係な場所へ次々に翻弄されていくことになります。

途中大きな魚に殻ごと呑み込まれるかも知れないし、歯の鋭い魚に殻ごと噛み砕かれるかも知れません。

そんなあんなも全て「仕方ない」。

これは決して「天命を尽くして人事を待つ」ようなやり切った感のある達観や、「レット一トビー」(Let it be♬)と歌い「なすがまま、あるがままに身を任せよう」と大いなる導きを信頼しているような穏やかな在り方ではありません。

その空虚な心の中に在るのは「絶望」です。

もう何一つ我がごとではなく、すっかり全てが他人ごと。

自分の人生のコントロール権を放棄した状態です。

自己価値も自己信頼感も自己肯定感も自己尊厳も・・・雲散鳥没。

自分を大切に扱う全ての要素を放棄した状態。

生きるも死ぬも、自分以外のものに全ての采配を委ねる状態。

これが思考停止状態であり、「被害者ポジション」(常に自分が攻撃される前提)の最終形だと私は思っています。

それは「何一つ上手くできなかった」と自分を責め続けた挙句の、己への罰かも知れませんね。(実際には自分が出来なかったのではなく、相手や状況が自分の期待通りにならなかっただけなのですが)

愛憎は表裏一体ですが、愛の反対は嫌いではなく「無関心」です。

日常では「私は何が好きなんだろう」「私は何がしたいんだろう」「私は何があれば幸せなんだろう」「私は何をしたら嬉しいんだろう」・・・思考停止すると自分に全く関心しなくなるので、そんなちょっとしたことが皆目分からなくなります。

というより、「自分はそれが分からなくなっている」ということ自体にもう気づきません。

そのうち暮らしから確実に「感動」や「高揚」が消えて行きます。

自分の本当の声を無視し、自分に対する無関心を何十年も続けて来たからです。もう自分にアクセスできなくなってきます。(ということにも、もう気づけません)

誰も通らない道が荒れたり、誰も住まない家が傷んでいくのと同じ原理です。

要は「私がどう感じるかとか、もうどーでもいいし分かんない!」ということなので、現実面では自分を非常に粗末に扱うようになります。

「自分や自分の人生を、自分はもうどうにもできそうにない」この絶望感伴う在り方が習慣化し、生き様そのものになってしまう始まりが、思考停止だとも言えます。

【習慣】が人生を創る!
https://original-ownlife.com/blog-2023-5/

◆思考停止した父母を観察し続けて、分かったこと

まず、「何かをより良くしよう」とか「これ、やってみたい!」などの、内なる動機からの自発的な行動の一切が無くなります。具体的に言うと、好奇心や積極性、行動力です。

理由は「何をしたら自分が嬉しくなるのか、楽しくなるのか、幸せ感じるのか」が、分からなくなって久しいからです。

「自分も人生も、どーでもいい」ので、全く未来図が描けず、それが計画性の無い非常に短絡的な生き方となり表れます。

どこへ行くのか、どうやって行くのか、目的地も地図も無い状態なので、その場にとどまり続けることで人間としての成長が止まります。そして後退し始めます。

その後は、人格・品位・人間性全てが堕ちて行くままとなります。

しかし如何せん私たちは一生命体であり、何にもしなくてもお腹は確実に空きます。なので幾ら思考停止しても本能的な生命維持のため、ご飯は毎日食べます。

そんな人と同じ空間にいると、底なし沼や蟻地獄にゆっくりだけど確実にゆるゆる引っ張り込まれる、そんな漠然とした恐怖すら感じます。

思考停止から自分をすっかり見失い、人を引きずり込みながら己の肉体維持には生存本能で努める。
このような状態を、私は思考停止からのゾンビ化と呼んでいます。(私の勝手な造語です)

◆背景は色々。真因を見つけるに、カウンセリングは有効なツールです

しかし一人の大人が思考停止となる背景には、必ずそうなる原因があります。

そこには本人の幼少期不遇から来る強い思い込みや(無価値観や見捨てられ不安)、それゆえに巡り合い、惹かれ合い、築いてきたパートナーとの苦しい関係、それが飛び火した親子関係などなど、複雑に絡み合った様々な要因が必ずあります。

そんな親に悩まされている方や、辛すぎて思考停止してしまいたい方、カウンセリングで思いつくままをお話しいただくことで、真因が見えてきます。見えたものは、解放することが出来るんです。

◆絶望の淵に立ったら、是非思い出してみてください

あと1つ、はっきり言える事があります。

あなたが思考停止しても、あなたを大好きな人、あなたを愛する人、あなたに心から幸せになって欲しいと願う人は周りにちゃんといるのです。

巻き込まれたくないのであなたから距離を取っているかも知れませんが、ちゃんといます。必ずいます。

それは我が子かも知れませんし、パートナーかも知れませんし、親友や幼馴染かも知れません。

ただあなた自身が生きるに疲れてしまい、機嫌モードは常に夕暮れ時の視野狭窄。なのにサングラスまでかけている状態なので、それがよく見えないだけなのです。

なので例え誰かが手を差し伸べてくれても、「バカにされた」とか「騙されそう」と自ら拒否したりもしてします。五里霧中でぼんやりとしか見えないから、きっと怖いんですよね。

また、自分を想ってくれるようなそんな殊勝な人はいない!!と決めつけ拒否を続けているうちに、あなたの回りから本当に人がいなくなります。そして、ますます孤独で哀しく淋しい状態となり人生の幸福度が下がり続けます。

◆どうか、早々と主役を降板しないで!

人生時間は有限であり、私達はどう生きても、必ず間違いなく寿命に至ります。

誰しもが、そうです。

生きとし生けるもの、命あるものは全て、その肉体が死を迎えることを避ける事は出来ません。

その限りある主役期間(長くても約100年。健康寿命は約70~75年)に人生の舞台から降りるより先に、まず「被害者ポジション」からちょっとだけ降りてみませんか?

そこから降りていい許可や、降りたあとに一体どんな風に生きたいか?

是非そんな「わたし、生きてる!」の感動と実感を、今一度自分にも味あわせてあげてください

心の仕組みを知り、今までのことを全て糧と出来るような安心安定な自分を取り戻しませんか?

お試しカウンセリングだけでも、十分現状整理が出来ます。日々お辛い方は、是非ご利用ください。

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。