毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。
今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。
今日は「もしかして自己受容が一番難しい?!」ということについて、実際のカウンセリング内容に絡めながら思うことを書いてみようと思います。
結論から申し上げますと
「この言葉がクライアントさんから出たら、もう大丈夫だ~~」と私は捉えております。
理由は下記に、書いてみますね。
◆カウンセリングコースについて
カウンセリングコースは、お試しカウンセリングを経て本格的にカウンセリングに臨みたい、と希望される方のみに提供させて頂いています。
カウンセリングコース料金のお支払いや、毎月1回予約いただいた時間にカウンセリングに臨むというのは、自分自身へのコミットと言えます。
(コミット:ここでは「自ら決めたことへ、自ら責任を持って取り組む」こと、とご理解くださいね。
もっと簡単に言うと「自分との約束を守る」です。実はもうここから、カウンセリングは始まっております)
最短で約半年のコースです(2時間x5回のカウンセリング+1時間のミニ講座x2回) + その他 特典つけてます。
これを経て、再度半年継続される方が約半数いらっしゃいます。
(ここ、実は前半の半年に比べてかなり楽しいです😊)
因みに私自身も、2019年最初10ヶ月継続(計10回)+単発3~4回(時期バラバラ)+3ヶ月継続(計3回)というようなカウンセリングを経て、今でも毎月数回は勉強会や講座に出たり、同分野の先輩カウンセラーや全く別職種の方々に話を聞いてもらい、自分の状態を保つようにしております。
状態の悪いカウンセラーは、本当に最悪ですから。
話を戻しますね。
「もしかして自己受容が一番難しい?!」
この言葉は、継続してカウンセリングに臨んでらっしゃるクライアントさんから発せられた言葉でした。
◆この言葉が、自分から発せられる背景
最初に申し上げておきますが、これは「カウンセリングで何をしたから」ということよりも、
それ + クライアントさん方々が今まで生きて来られた軌跡・得た学び などなどの 深い気づきから発せられると言えます。
なので良いとか悪いとかではなく、クライアントさんごとにそのタイミングがあります。
そしてそのタイミングこそが、ご自身にとってのベストタイミングなのです。
◆実はこういうステップです
1.自己理解(自分を知ること)←カウンセリングは、ここから始まります。
2.自己受容(自分を受け入れること)
3.自己承認(自分にOKをだすこと)
4.自己肯定(自分にYESと言うこと)
5.自己信頼(自分を信じること)
1が進むと、自然と2~5が始まります。
また1が進めば進むほど、2~5が底上げされて行きます。
なので、クライアントさん方々が「自分を知ること」を楽しい!と感じていただけるようなカウンセリング提供に、努めております。
◆香月が提供しているカウンセリングコース領域で、行っていること
・あの家で被害者、犠牲者だった自分にOKを出す。(私たち子どもでしたから、それしか出来なかったんです。それで大正解なのです。だからいま、あなたは実際見事に生き延び、ここに居てこのブログを読んでくださっています。)
・辛かった生育歴で負った大きな傷や大出血を認め、クライアントさんと一緒に縫合や消毒、癒していく(インナーチャイルド療法など)
・親の人生や課題と、自分のそれらとの線引き(客観視の練習。この切り離し、「負け」ではないんですよ~)
・苦しい親や養育者との繋がりから、幼き自分が創り出したマイルール(不自由な信念)と禁止令(自己防衛)への自己理解と緩和
・感情って何?潜在意識って何?を、まず知識として得て頂く
・クライアントさんから見た数代に渡る血縁人物を俯瞰→家系テーマの認識(自己客観視よりも高い視座と広い視野での俯瞰)
・統計学を使った自己分析と家族バランス分析(自分の本質や適性を別角度から知る。なぜあの親や兄弟姉妹とは、あんなに苦しかったのかにロジックな一つの答えが出る)
などなど。(クライアントさんによって、内容や順番を変えることがあります)
◆これらを経ての「もしかして自己受容が一番難しい?!」の真意とは
生育歴での自分の在り方、つまりは被害者ポジションから離脱し、自分の人生の舞台へ主役として返り咲いている(返り咲こうとしている)、自分の人生のハンドルを自ら握っている(握ろうとしている)からこそ出る言葉が「もしかして自己受容が一番難しい?!」なのです。
この時点で、問題ある親や養育者とは既に自分の中で一線を画していると言えます。
既に自分の内側へ矢印が向いている、それが習慣化してきているからこそ発せられるのが
「自己受容、難しいぃ~~」なのです。
実に素晴らしい気づきですね!
◆つまり、クライアントさんは「解った~!」のです
大人になった今、ワタシは自分の在り方次第で人生をどうにでもしていける、という内なるパワーを自分が既に内包していることを、です。
(傷が深く大出血のしている状態では、誰だってとてもじゃないけどそうは思えないのです・・・)
在り方 とは、自分が日々を暮らす「スタンス」とも言えますし、「生きる姿勢」とも言えますし、もっと言いますと自分の「心の態度」かな。
親のこと、兄弟姉妹のこと、パートナーのこと、子どものことなどなど、自分以外の人の「嫌な部分」「出来ていないこと」をあげつらい嫌悪・拒絶するのは、割とやりやすいんです。
なぜかって、その時自分は「正しい」を大義名分に出来ているから、です。裏返して言うと「あなたが間違ってる!!」です。
(私たちって誰しも、自分が一番正しい と思いたい生き物なのです。そういう前提で、おりましょう)
ただ自己受容というのは、自分の中の「嫌な部分」「汚い自分」「ズルく姑息な自分」「ドロドロ、グズグズ、イライラ、チクチク」などなどブラックな自分をも自分として受け入れるということですので
「え・・・私も間違ってるやん!」
「私も出来てないや~~ん!」
「私もやらかしてしもてるや~~~ん!」
が一杯一杯出てまります😒😢
これ、キツイですよね~
そんな自分ってイイ👍結構イケてる~👌もうサイコ~~!!😊😘
ジブン大好きぃ~!💕😃🥰
なんて思えないですよ・・・誰でも。
なのでね、自己受容とは「私の中にはそんな部分もある」という事実を事実として認め、イタイ自分を赦(ゆる)し、いまここに実際いる不完全な自分にOKを出すことと言えます。(私もこれ、今でも粛々とやっております~)
◆だから、それが難しいんだって!
と思いますよね。その通りです! 私もそう思っていました(どやっ)😎
ではこういうのは、どうでしょう。
物事・出来事には必ず多面性があり、二分すると陰陽両側面があります。
「事実を事実として認める」
「赦(ゆる)し」
「OKを出す」
↓
陰(ブラックな自分)に使えてこそ、陽(イケてる自分)にも使えるわけです。
逆に言うと、陰の自分に使えなければ、陽の自分にも使えない、ということです。
その結果、どうなるかと言うと
・自分のよい部分を、全然認めてあげられな~い
(夜な夜な開く自分責め大会、自分へのダメだし&鞭打ち)
・人から褒められても、絶対受け取らな~い
(どういう意図だ?みたいな斜め視点)
これ、なかなか可哀想な自分から抜け出せない道、まっしぐらです。
なんともまぁ、勿体ないことです。
でも
自分が陰陽両方の自分を受容できたら
自分の大切な人にもそうしてあげることができる(特にパートナーやお子様へ)、というサイクルに入ります。
私たちは自分にしてあげられることしか、人にもしてあげられないのです。
そしてこれを大切な人に出来たら、人間関係って悪くなりようが無いのです。
◆自己受容が進むと、更によく解るのは・・・
自分の整え の大切さです。
具体的には、身体・言葉・意識の整え です。
その手前にある自分の状態の整えが、身体・心・エネルギー(活力)・環境(人との関わり・住居環境)という要素です。
すご~く単純なことを言いますが、私たちってお腹が空いただけでもイライラする生き物なのです。
心身安定している人は、わざわざ人を不快にさせよう、とはしないですよね。(急に怒鳴ったり、イチャモンつけたり、マウント取ったり、足を引っ張ったり)
笑う門には福来る からの、猛攻撃とか、ないですから。
理由は わざわざ自分の貴重な労力と時間を使い、「そんなことする必要がない」からだと思います。
(例が極端ですが、静か穏やか代表の観音さんは、そんなこと決してしませんよね)
自分の心身を整えることに注力すると、当たり前ですが心身の調子が良くなるため、必然的に楽チン・ご機嫌な時間が増えます。
すると、自分として良きパフォーマンスを繰り出せる時間が長くなります。
(ゲスゲスな自分は居なくならないけど、出現時間が短くなる)
↓
トーゼン人間関係が穏やかで豊かになってきますので、より良い引き寄せにも恵まれて有難く感じるため、自分の中に自然と感謝が生まれます。
↓
感謝って、幸福度を感じるアンテナですから
↓
ますます自分の楽チン・ご機嫌時間が長くなります。
この循環を積み上げて行く時間や日々を、私たちは「幸せ」と呼んでいます。
◆そうなるようになるコツ
これはですね、「正しさより、自分の心地よさを優先する」ではないかな、と思います。
いや~自分で書いていながら、実に耳がイタイです。私も母に対しては、イライラモード→正しさ!追及が出ますから。
なので心身共にかなり距離を置く自分を「赦し」、そしてOKとしております。
「自分の心地よさ優先」
ここは実に深いので、ご興味ある方はまずお試しカウンセリングへいらしてみてくださいね。
「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。