毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。
今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。
認知症初期である実母について、最近分かったことがあるので書いてみようと思います。
それは「コメ有り無しと、母の状態の連動」です。
な~んだ!と思われる方もいて当然ですが、私にとっては完全な盲点、そして「大発見!」でありました。
母への遠隔介護手配については、こちらから
現在進行形【2024年1月24日 母への介護手配始まる①~⑦
https://original-ownlife.com/blog-2024-05/
親子問題で生きづらい方が、このブログでどこかご自身の親との類似点を見出されたり、その背景などの考察の参考になったり、少しでも生きづらさを軽減されるキッカケになれば幸いです。
◆来て下さるクライアントさん方々と親世代
私のカウンセリングに来られる方で最も多い年代層は、40後半~60歳までくらいです。
そして悩みの対象であるその親御さんの世代は、大体70代~80代くらいです。
私自身、1972年(昭和47年)生まれですから今年52歳。バリバリ昭和です、はい😊
父と母は昭和19年生まれ(1944年)のため、今年は80歳です。(ギャンブラー父は3年前の10月既に逝去)
この世代、「日本総スラム化」と言われた「貧困・飢餓」時代に幼少期を送っています。
よく「戦後は皆貧しかった」と形容される、あの時代を体験しています。
家族単位としての特徴は往々にして「きょうだいが多い」こと、そして「父親・長男を頂点とした家長制度」「男尊女卑」で家の中が統制されていたことです。
この辺りは、明治初期まで続いた「藩制度」(お家が第一!全てはお家のため!我が殿のため!)の名残だと思います。
そして継承する人間の多さが影響して、日本社会にはこの統制と同調圧力が色濃く残り続けました。
それが「社畜」という行き過ぎた忠誠心の仕事スタイルや「過労死」という由々しき社会問題を産んだと、推察します。
◆「あの時代を生きた」は、決して免罪符ではない
まず始めに申し上げたいのは、
毒親と呼ばれる人々の時代背景を知り、だから「親を理解して許せ」という主旨で、このブログを書いているのではございません。
ここは何度も色んなブログで申し上げている通り「あなたの辛さはあなただけのもの」であり、「感情的に許せないこと、許せない人を無理に許す必要はない」ということです。
こんなあんなを知り、理解した上でも、親に対して許せないことはあってもいんです。
過去からの痛み、悲しみ、怒り、憎しみを感じる時は是非、とてつもない深手をいまだに負っている自分の状態を認め、「よく頑張った。よくここまで生きて来た」と受け入れてあげてくださいね。
そして「もうこれ以上、頑張らなくていい」と自分を赦(ゆる)してあげてくださいね。
また
貧困蔓延「あの時代」の体験は、依存症(アルコール・ギャンブル・異性・買い物など)やDVやモラハラ・ネグレクト・過干渉などを行い、弱く無力な子どもを支配・コントロールし苦しめてもいい!という免罪符ではない、と言うこと。
(だって、事実そうしない親もいます)
そして
「何でも学び」って分かっているけど!!! 「何でも糧に」って分かっているけど!!!「反面教師だ」も全部ぜーんぶ分かっているけど・・・
それでもやっぱり「体験したくなかった」と思ってしまう出来事は、私たちの人生にはあるのです。
事実、私にもあります。
ただ「親もただ一介のニンゲンだ」と時代背景などと合わせて理解することで、自分の痛みが和らいで来た後に「そういうことか」という気づきは生まれやすくなるとは思います。
なので「親を理解するため、許すため」と言うよりは、「自分がより楽になるため、より生きやすくなるため」という目的で、このブログを読んで頂けると幸いです。
頭の理解と、あなたの大切な感情、分けて行きましょうね。
◆毒親問題と戦中・戦後の貧困・飢餓→高度成長期を経て「1憶総中流時代」
からの「70・40問題」「80・50問題」
1937年7月に始まった日中戦争、それに引き続き1941~1945年の太平洋戦争、この辺りからの日本はざっくりとこのような歴史を辿ってまいりました。(スマホの方・・・見難くてごめんなさい)
引用ではなく、自作です。
↓ ↓
戦争の大混乱(主に1941~1945)
→戦中から戦後の貧困・飢餓状態(1945~1947)
→その後の経済大復興(1950~1960)
→1憶総中流時代(1970~)を経て現在に至るも、それら激動の時代を幼少期~生育歴全般で体験した親たちが「毒親」化して、生きづらさを抱えた多くの子どもを育てた事実があります。
この親世代から生まれた私たち世代は、大変数が多く、少子化知らずでした。
その子どもが親世代となり(正に私たち現在40後半~50代)、負が連鎖している場合、その子ども(現在10数歳~20半ばくらい)も生きづらくなる背景、お分かりいただけるでしょうか。
*親御さんの出産年齢により多少のバラつきがあります。
*戦中戦後の混乱や貧困・飢餓は上述した年代ズバリのみではなく、その前後も大きな社会不安・命の危機として人々の暮らしの中にあった、もちろん地域差もあった、とお考え下さいね。
◆令和コメ騒動 2024年8月~
皆さんも今年8月~9月半ばごろの所謂「令和コメ騒動」は、記憶に新しいかと思います。
私は8月17日~22日まで母の介護手配などで関西に帰省していたのですが、スーパーやドラックストアのコメ棚は、まぁ本当に空っぽでした。
ただ
日本が大飢饉に見舞われた事実は無いということ。コメ以外の食材は相変わらず豊潤で、コメは確かに入手困難だが、日本列島飢餓状態、ではない、というのが現実ですね。
つまり、コメが無い という状態は、一過性のものであると言えます。
実は主食になり得るものは、コメ以外に沢山あります。
買いやすいのは、うどん、そば、麺類やパンあたりでしょうか。
◆私のLINEに来る、コメコメのメッセージ
私は、8月22日夜に香港へ戻りました。
以降8月末までの約1週間、私の個人LINEには、母関連の「コメコメLINE」の連絡が日夜入り続けました。
(個人的に米米CLUBは好きですが、コメコメLINEは嫌いです😢)
・妹から
「母からコメを買いに行けと言われた。今コメ、売ってない。買い物はヘルパーさんがするのではないのか?! なんで私が行けと言われなければならないのか?!」何とかかんとか、一杯。
そうなんやけど・・・コメ無いと、私に言われても、って感じです。香港のAEONやドン・キホーテには一杯あったんだけど、ね。
・妹「お母さん、近所の人にコメを借りに回ってるらしい」
はぁ・・・知らんがな、って感じです。
一応、母宅向かいのおばちゃんには事実確認として電話してみました。
母に頼まれコメを分けた、とのことでした。
・ヘルパーさんからは
(福祉介護手配の一つ。今年4月毎日30分、母宅へ様子見と買い物や掃除などを頼んでいます)
「お母様、お米を買いたいようですが、日本は今お米が不足していてスーパーにもありません。蕎麦やうどん、ラーメンでもと思いましたが『嫌い!イヤだ!』とおっしゃるんです・・・」とか
え~~!私帰省時に、母 嬉しそうにレストランで自ら蕎麦を選んで食べてたがな・・・
ヘルパーさんも一人の人間、この福祉方々も、コメ入手に日々苦慮されているわけです。
それに対して「嫌い!イヤ!」と感情的・反抗的に喚く、我が母というニンゲンの人間性よ。
私「食べるものは、家に普通にあるんですよね」
ヘルパーさん「はい・・・冷蔵庫も冷凍庫も、沢山食材入ってます」
なら、結論 : 飢え死にすることはない
不満不平を言い、人に罪悪感を抱かせ、自分から離れて行かないようにする。
これは母が私や妹や父にも、約40年間使い倒して来た打率10割の必勝法です。
私はもうその「ゲーム」には、参加しないんです。
「お母様、何度もエミさん(私、香月)に電話されているようです。でも、繋がらないそうです」
いーえ、かかって来てません。
何度も伝えた私の電話番号はいつも無くすし(認知症前からね)、国際電話のかけ方も全く覚えないし、LINE教えて設定してもやらないし、そもそも「子どもが構ってくれてトーゼン」な態度です。
連絡断絶3~4年を経て介護手配が始まった今年からも、福祉関連の連絡事項以外 私からは母に電話しません。
理由「嫌だから」です、はい。
◆自分の状態・人生と親きょうだいのそれを客観視
話したくない人には、わざわざ電話しなくていいんです。
出たくない電話には、出なくていいんです。
皆さんも この親が、このきょうだいが「(血縁の無い)友達や知人だったら」と、是非仮定してみてください。
私たち、嫌な人には自ら電話しないですよね。
そんな風に客観視し、親・きょうだいと自分の人生を線引きしてみてくださいね。
私たちは誰しも、誰かの慰みもの となるため生まれ、生きているのではありません。
その「誰か」が、例え血縁の相手だったとしても、です。
そして
これは、逆も然り です。
◆コメコメLINEにイライラMAXの私が採った行動とは
8月末に日本の楽天で検索したら、割高ですがコメはありました。
5キロx4袋=20キロ注文し、一括で母宅へ送りました。
これで「当分持つやろう」と。
通販のコメは9月5日に無事 母宅 に届いたようです。
便利な時代、本当に有難いです。
8月末~9月頭、日本は台風に見舞われておりました。
「コメ配達の連絡が、なかなか来ないぃぃぃ、なんでや~~」と、イライラしそうになりましたが・・・
ハタと、いつもクライアントさん方々にお伝えしている言葉を思い出しました!
「これからはご自身の有限エネルギーと人生の有限時間を、自分が変えていけることだけに使って行きましょうね」
そうや・・・そうやった! その通りやんっ😃
台風は、私がジタバタしたところでどうにもならん、と気づき、イライラを手放しました。
まだまだ未熟な自分です、本当に。
◆コメ到着数日後、ヘルパーさんからLINE
「お母様、エミさんにお礼を言いたくて電話をされているようですが、繋がらないそうです。エミが電話に出ない、変なとこに繋がる と、仰います。なので、お礼は私が代わりにお伝えする、と言っておきました」
はい!いつもお気遣いと正確なご報告、本当にありがとうございます。
っていうか、かかって来てません。
お礼も、要ら~ん。っていうか、変なとこって、どこやねん???ですよ、ほんとに。
さてこの後、思わぬ展開が訪れます。
私自身カウンセラーとして、自身が臨んだカウンセリング後は親きょうだいや自分のことを出来る限り客観視をし、自分の整えをしてきたつもりですが・・・
あの大変で散々な思いをした、殺意飛び交う機能不全家庭を創り出した母の「そこかぁ」という盲点を、今回は見つけました。
続きは、すぐ書けそうです!
「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。