毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。
今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。
今日は自分自身の最近の出来事と気づきについて、書いてみようと思います!
家族関係や夫婦関係・職場・学校の人間関係で、煩わしいのに「気づいたらいつもその人のことを考えてしまっている」グルグルが頭から離れない方の参考になれば、幸いです。
実は私 最近、と~~~っても苦手なタイプの人と知り合ったんですよね・・・
で、その人(同年代の女性)は私のことが好きみたいで、すんごい一杯連絡くるんですよね。
◆よくスピ系で言われること
「嫌いな人にいなくなってもらうには、感謝の意を込めて自分の中でこう言い続けましょう!『あなたとの学びは終わりました。ありがとうございます。ありがとうございます。』」
私、スピリチュアル的概念も一応持ち合わせているカウンセラーなんですが、正直言って「嫌いな人に感謝」って無理です、はい。
出来る出来ないというより、「したくない~~」😫😥
確かに「嫌いな人」というのは、その人の言動の何らかに私自身の潜在意識の中で反応しているからこそ「嫌いだ、苦手だ」と感じるのです。
(ただ私は彼女が苦手ですが、その人が地球79億人全員から嫌われいるか、と言えばそれも違う。その人を好きな人も少なからずいるのが現実だと思います)
自分の中の潜在意識の反応は、今後も私自身の問題として向き合っていくことで自らの成長に繋がりますが、それと「感謝しましょう」って全然違うことだと思うんですよね。
嫌いだ~苦手だ~が本音なのに、「ありがとう」なんて言えませんよ!
私たちは菩薩さんではなく、狡さも弱さもふんだに持ち合わせている人間なのです。
私のことを苦手だと感じる人もいれば、好いてくれる人もいる。
それと同じで、私にも好きな人と嫌いな人がいて当然だと思うんです。
絞り出すような感じの無理やり感で「ありがとう」って言えたとして、何の意味があるんだろう、と思う次第です。
自分の本心に、この上なく嘘をついていますよね。
◆「嘘」と言えば・・・苦しい破滅的生き方になっていく人がいるのは、なぜ?
父母の生き方を観察し、沢山の方々のカウンセリングに伴走させて頂く中で分かって来たことがあります。
人が破滅的な生き方になっていく理由を一言で表すと「自分に嘘をつき続けているから」という答えに至ります。
そしてこの「嘘」とは、そもそも「ニセモノ・セルフイメージ」で自分が何十年も生きている、というところから始まっています。
◆ニセモノ・セルフイメージとは
ブログの主旨から外れますが、ニセモノ・セルフイメージについて簡単に説明いたしますね。
それは機能不全家庭を運営する親との関係で、幼き自分が思い込んだ「自己無価値観」に集約されると思います。
機能不全家庭はいろんなケースがあるのですが、ここでは子どもを不幸にしていく所謂「毒親」を運営主として書いていきます。
(これ以外では、親がずっと心身の病気、突発的な事故や自死で亡くなっている、親が外国人で日本語が不自由だった、親が軽度知能障害や発達障害を持っていた などなど。子どもが子どもらしくいられない機能不全家庭のケースも多々あります)
話を戻しますね。
機能不全家庭を運営する毒親は、精神的にとっても未熟で自分軸がグラグラです。
一言で言うと「歳取った子ども」。
なので自分の問題を自分で解決しようとせず、また 解決も出来ず、そして自分が解決できるとも思えておらず、「私の機嫌を何とかしろ!」とばかりに、自分が一番コントロールしやすい子どもにそれを怒りや暴力、涙、ネグレクト、過干渉などなどで、ぶつけてきます。
そのぶつけられ方や球の種類により、子どもはその生育環境に於いて様々な心身の困難を抱えます。
一様に言えるのは「あなたがここに居てくれて、(お父さん・お母さんは)とっても幸せよ」という子どもに対する存在肯定(真実の愛)が一切無いことです。(幼子だった自分として、父母の言動からはそれが一切感じ取れない)
その結果、私たちは幼少のころに「私は私のままでは、価値が無い」と強く、そして深く 思い込みます。
これが「ニセモノ・セルフイメージ」の正体です。
◆ニセモノ・セルフイメージで生きていくということ
このイメージを「自分だ」と思い込み続けていると、何かにつけて自分が「大切にされない方」をわざわざ選択し続ける人生になります。
だって「私なんか無価値」で「取るに足らない存在」なんだから、蔑ろにされたり、ひどい事されたり、憂き目に遭うのはもはや「当たり前」という整合性を以て、私たちが自分の潜在意識から様々な言動を繰り出すからです。
カウンセリングでは最短半年の時間を掛けて、ここを癒しそしてホンモノ・セルフイメージを見つけ、クライアントさんの「在り方」を安定・定着させていきます。
「在り方」というと、どこか哲学的な匂いがいたしますかね。
もっと平たく言うと、自分が自分の人生に臨むスタンス、心の態度、そんな風に言い換えても良いと思います。
◆その、自分の苦手な人への対処法
自分に対する「嘘」が、人生や人間関係に飛んでもなく影響を及ぼすことを、簡単ではありますが上述いたしました。
では、嫌いな人に感謝したり、許さなければとか、これは魂の学びなんだ、とか、自分としてとてもそうは思えないのに最もらしい理屈をつけて「そうせねばならない!そうすべきだ!そうできない自分はダメなんだ!」と自責から無理やり何かを自分にさせることは、自分に対する「嘘」ではないのか?
と、ふと思ったんです。
私たち大人は我慢や無理をしているとき、その辻褄合わせに「最もらしい理屈」をあれこれ考え出します。
自分を何とか無理やりにでも納得させるために。
でね、こんなことをすればするほど・・・苦手なその人が「気になって気になって仕方ない」という悪循環に陥ってしまうわけですね😩😩
そこで気づいたんですが、これ、ここって「自分には、嫌いだ、苦手だ~って思う人がいる。私、まだまだめっちゃ未熟!わっしょい!」って認めてしまえばいいのでは?と。
大袈裟な言い方になりますが「自分への赦(ゆる)し」です。
私、香月映見、ドロドロ感情もグルグル思考もあるある、という自分への赦(ゆる)しです。
◆その苦手な人は、誰なのか
これ、私の場合はやはりあの「母」なんですよね。(以前より随分と、心の距離も於けるようになりましたが)
その最近知り合った女性は、実際「母」と同じ匂いがします。
・自分の不安を感情的にまき散らすところ。(そんなことしても、何も解決しないのに)
・人の好意や人の時間を利用するところ
・無神経で浅はかなところ
食事しながら「不安だ。心身具合が悪い」と神妙に悩み相談してきたから、「彼女本人に向けて」真剣に一度返答しました。
なのに彼女はその晩、私からの返答を咀嚼するどころか、「カウンセラーから聞いた話」として私の全く知らない人に単なる一情報としてそのまんまパスしたんですよね。(一回返答しただけなので、カウンセリングみたいな深いことは何もしておりませんが)
そしてそれを「ワタシ、〇〇さんに教えてあげたのよ」と無神経且つ浅はかに自慢げにまた私に言ってくるところ。
悪気が無いということは、本人として気づく可能性は無い、ということです。
そしてその行為は、彼女が友人〇〇(私の全く知らない人)を真に慮ってのことではなく、「ワタシ、カウンセラーの友人がいるのよね~」という彼女自身の承認欲求から出た行為だということ。
冒頭に書いた「その彼女は私のこと好きみたいで」は、撤回です。
「利用価値があるから」私に好かれたいのだと、そう感じます。
「カウンセラーの友人がいて、得だ」というエゴです。
この辺りの感覚(テイカーを見破るカン)は、あの機能不全家庭の父母とのやり取りに於いて研ぎ澄まされておりますので、自分として自信あります!
こちらも御参考ください
https://original-ownlife.com/blog-2023-11/
【ギバーとテイカー】~前編~ あなたは大切なものを、誰かに奪われ続けていませんか?
以上を踏まえて、私は「彼女、苦手」「私の人生に要らない人」なので距離を於くことにしました。
普段は「潜在意識が」「心の仕組みとは」とか何とか色々書いているカウンセラーも、ただのニンゲン。
こんなこともある、と自分を赦(ゆる)しました。
◆その時にとっても大切なこと
「この人、無理~~」と自らに赦(ゆる)した時に、大切なことがあります。
それは「ならば、自分はどんな人と付き合い、親しい関係を結びたいのか」を自らに問い、考えてみることです。
私は・・・「お互いを対等に尊重し合える人」と心地よい関係を紡いでいきたいですね。
◆誰かを許せない時
そんな時は、誰かを許せない矮小な自分をまず自分で赦(ゆる)してあげましょう。
無条件の赦(ゆる)し、癒し(共感と受容)、機能不全家庭では親からしてもらったことがないものばかりです。
だから最初は難しく感じるかも知れませんが、これ 実は練習です!
したことがないことは、練習すれば必ず上手くなるんです。
自転車・水泳・スポーツ・お料理や仕事などなど。
それらと同じなのです。
この「自分を自分で赦(ゆる)してあげること」って、心理学などの学問的な理論理屈より何より、自分らしい人生の基盤となり未来へと繋がってきます。
そして自分を赦(ゆる)してあげられるからこそ、人に対しても寛容になっていけます。
あ、勿論ご縁を紡いでいきたい人は、自分の目や感覚で選んでいくことも大切ですね。
楽ちん・ご機嫌な人生を目指される方、自分への赦(ゆる)しをカウンセラーと一緒に練習してみたい方、いつでも大歓迎でお待ちしております😊👍
「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。