毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。
今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。
今日は、ネット記事や動画などでよく耳にするようになった「自分を大切にしよう」について、書いてみようと思います。
◆そもそもそれって、どうすることなのか?
Googleで「自分を大切にする とは」で検索すると
AI先生からの回答は、下記の通りでした😊
「自分を大切にするとは、自分自身の心身の状態や感情、欲求、価値観を理解し、尊重し、それらに基づいて行動することです。具体的には、無理をしない、嫌なことから離れる、自分の気持ちに正直になる、自分のために時間を使う、など様々な方法で実践できます」
↑
最もな模範解答だし、そりゃそうなんだけど・・・
こんなに一杯、一気に出来ないよ~ と私は思います😣😥
なのでカウンセリングでは特に「自分自身の本当の感情」にスポットを当てるようにしています。
ここが最重要であり、且つ最初の第一歩 だからです。
機能不全家庭で育った場合、何を一番抑圧しているかというと「(理性無き)子どもらしい感情」です。
これに尽きます。
◆クライアントさん方々にお願いしていること
カウンセリング過程で、クライアントさん方々にお願いしていることが有ります。

何か嫌な気分になったり、モヤモヤしてなかなか晴れなかったリする出来事が有った時に「私はどう感じたか」を先ず、探ってみてくださいね。
自分の内側に矢印を向けて、それを感じてあげてくださいね。
と、お伝えしてるんです。
◆クライアントさん方々がおっしゃること
自分の気持ち・・・えっと・・・
「腹が立つ!」「イライラする!」と仰る方が、ほとんどです。
「その下に、実は何か別の感情はありませんか?」と聞きますと、皆さん「え??? 別の感情って?」となられます。
その感覚、ものすご~く分かるんです。
私もそうだったからです。
2019年、私自身が生まれて初めてカウンセリングに臨んだとき、
正に
「は?自分の気持ち⁈ そんなもん(あの親への)怒り以外ないわ~~い!!!!」でした。

なぜって?
だってだってあの親は、ずっとずっと全てを間違ってるから!
正しいのは、私だ!!!
なのに奴らは、ずっとそれを認めようとしない!
自分の人生を是正しようとしない!
謝りすらしない!
かつてお世話になったカウンセラーは、私のこの状態を「怒りの火だるま」と呼んでいました。
全く以て、その通りです。
◆とても大切な前提
イライラを含むいわゆる悪感情と言われる「怒り」って、実は「二次感情」なんです。

これを前提に自分の内側を観察してみると、
怒りの下にある本当の感情
つまりは自分の本当の感情(一次感情)
に気づきやすくなるかも知れません。
◆では、二次感情とは何なのか?
それは第一番目に自分が感じた本当の感情を隠すために、私たちが使う二番目の感情 です。
それは往々にして「怒り」という、自分のエネルギーを一極大放出して創り出す感情なのです。
実際に怒る、憤る、って結構疲れますよね。
最初の激しさが無くなって来ても、今度はチリチリ・グツグツと長期間に渡って燃え続けるのも「怒り」の特徴です。
十年単位で燃え続けるものがあれば、それはもう恐らく「憎しみ」や「恨み」と呼ばれる根深いものに変わっていることが多いです。
◆なぜ、私たちは自分の一次感情を隠すのか?
それは
自分の一次感情をモロに感じるってことは、自分の心が壊れてしまいそうなとてつもない痛みと恐怖を感じるからなんです。
なのでそれを防御するために(自分に本当の痛みを感じ切らせないように!)、私たちは瞬時に怒りを噴出します。
正に「攻撃は最大の防御」なのです。
そして機能不全家庭に於いて、私たちは「怒り」を以て自分の存在の尊厳と心を護ってきたからこそ、いまここ にこうして生きております。
◆私たちが二次感情の「怒り」を感じるとき
あなたが「許せない!」「二度と口きかない!」「絶対別れてやる!」「絶縁してやる!」「今に見てろ」などなど、激しく極端な怒りを覚える時は、どんな時でしょう。
下記に、私の思う状況を書いてみますね。
・話を聞いてもらえず、何か言うと「言い訳するな」と遮られ、一方的に「お前が悪い」とされたとき
・良かれと思ってしてあげたことを、時間や労力もろともに蔑ろにされたとき
・一生懸命頑張って何かを成し遂げたのに、たかがそんなこと と軽んじられ足蹴にされたとき
・頼みごとを聞いてあげたのに、感謝も無く、「して当たり前」みたいにスルーされたとき
・時間や約束を、簡単に反故にされたとき
・勇気を出して物申したのに、全く分かってもらえなかったとき
・明らかにわざと、恥をかかされたと感じたとき
・蔑みの目で見られたと感じたとき
・自分の何かを嗤われた、と感じたとき
などなど
そしてポイントは、上述のようなことが何度も何度も複数回に渡り発生してる、という状況。
こんな状況下に於いて、私たちは猛然と自分の中で膨れ上がる抑えようの無い不快極まるある感情の塊 を感じます。
それが「怒り」です。
そして自分で書いていて思うのですが、上述の例って、実は機能不全家庭の日常茶飯事だったりするのです。
◆では、私たちの一次感情とは?
それは
上述のような状況下で、何度も無碍(むげ)にも踏み倒され「無かったもの」「意味なきもの」「価値なきもの」として扱われた 自分の悲しみ・不安・寂しさ など です。
これらかなり痛そうな一次感情の対象は、「わたし」若しくは「わたしに属するもの」にも及びます。
↓ ↓ ↓
私の想い、私の価値観、私の事情、私の気持ち、私の意思、私の時間、私の労力、私の正しさ、私の言葉、私の意見、私のお金、私の夢、私の未来、私が大切にしているものや人・・・などなど。

まとめますと
「私の存在そのもの や 私に属するものが、軽んじられ、蔑ろにされ、大切に扱われなかった」
という痛み というか 破壊的な激痛
= これが私たちの「一次感情」です。
それらを自分が自分に感じ切らせないようにするために、私たちはわざわざ莫大なエネルギーを使って「怒り」を放出します。
それこそ、己の身を削ってでも放出します。
ここでのポイントは、痛み→瞬時に怒りへ移行 という速度です。
事実カウンセリング前の私を含め、カウンセリング初期のクライアントさん方々も「自分の一次感情」に全く自覚がありません。
それくらい本当に秒速で、一次感情→二次感情へと自分の中で移行します。
ついでに申し上げると、機能不全家庭運営の親はしばしばヒステリックに「逆ギレ」しますよね。
あれも実は、同じ仕組みなのです。
うちの母なんて、本当に沸点が分かりませんでした。
(多分母自身も、分かっていない。そして一生分からないでしょう)
◆後半では
「自分の一次感情」に自覚がないまま年齢を重ねると、一体どうなるのか?
そして本当の意味で「自分を大切にする」とは、どういうことなのか?
について書いてみようと思います。
「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。