毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。
今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。
8月10日~17日、日本に帰省しておりました。この件は毒親介護関連になりますので、また書かせて頂きますね。
日本ではどうしても時間が取れなかったのですが、17日夜に香港の自宅へ戻り、もうどうにもこうにも我慢が出来ず、居ても立っても居られず・・・
8月18日に映画「鬼滅の刃」を観に行ってきました。(香港は日本より約1か月遅れの8月14日から上映)
2時間半に及ぶ長編映画でしたが、映像的にもストーリー的にも全く退屈感のない流れで、涙流しながら大満足しました😊
絶対、もう一回か二回は観に行くと思います(笑)

映画タイトルは、日本でも話題の『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』
猗窩座 は あかざ と読みます。大変人気のある悪役です。

私も大好きで、フィギア持ってたりします❤️
(二枚目は、猗窩座にパワハラするうちのニャン)

猗窩座(あかざ)は映画タイトルに出てくるくらいなので、今回の映画の主役と言っても過言ではありません。
このブログは、人気悪役の猗窩座(あかざ)という鬼と、目的・手段の逆転について毒親運営の機能不全家庭も例に挙げ、書いてみたいと思います。
鬼滅の刃という作品には、実に深く精神世界と私たちのすぐ身近にある陰陽の対比を描かれております。
そして
「なぜ人間を捨ててまで、人間から忌み嫌われる鬼になることを選んだのか」という鬼たちの背景には、私たち人間が「うん・・・何か分かる」と感じるような人の心の脆弱さや感情的で衝動的な視野狭窄状態での「つい、うっかり」みたいな安易な選択も隠れております。
幾つかブログを書いておりますので、ご興味ある方はまたご一読下さいね。
https://original-ownlife.com/blog-2023-19/
【鬼滅の刃】の鬼が体現する抑圧系毒親・DV・モラハラ人間の生態と正体とは?~前編~
本当はもっと鬼滅の刃を書きたいのですが・・・私はオタク思考で突き詰めるタイプでして、何かもうカウンセリングではなく「鬼滅の刃講座」へと逸脱してしまいそうになるので、一応自制しております😊
◆猗窩座(あかざ)(本名:狛治 はくじ)の背景
彼は、江戸時代に病弱な父と二人暮らしをしていた青年。
大好きな父とその暮らしを守るために盗みを繰り返し、罪人として入れ墨を刻まれながらも懸命に生きていました。しかし、父は息子の将来を案じ自責の念から自死。
その時、狛治は収監中で家を留守にしていました。当時15歳だったようです。
彼は絶望の中、町道場の師範に拾われ、師範の娘・恋雪(こゆき)と出会います。
長く病に臥せっていた恋雪を看病しながら、師範の弟子となり道場で暮らす日々が始まります。
恋雪との穏やかな日々は、狛治にとって初めての幸福と感じられるような3年という時間でした。
18歳になった彼は道場の跡継ぎに指名され、恋雪との結婚も決まり、未来への希望を抱きます。ところが、彼の強さに嫉妬した隣道場の者たちが井戸に毒を盛り、師範と恋雪は命を落としてしまうのです。
その悲しい出来事は父の墓前に狛治が結婚の報告をしに行き、たまたま道場を留守にしていたその日に起こりました。
再び「(大切な人を)守れなかった」という抱えきれないほどの喪失感と無力感に襲われた狛治は、怒りと悲しみを纏ったまま敵道場を壊滅させ、その格闘能力を鬼のトップに見込まれ、鬼となる道を選びます。
以降、彼は猗窩座(あかざ)として人を喰らう鬼となります。
ただ女性だけは決して襲わず、人間時代の記憶はすっかりなくなっていても、恋雪への想いが心の奥底に残っていたことをうかがわせます。
◆鬼になってからもひたすら強さを目指した猗窩座
鬼は肉体が何度も再生するので、不老不死で不死身です。(ドラキュラみたいに太陽光だけを、克服できていない)
様々な武器や呪術を使う鬼が多いなかで、人間時代に格闘家だった猗窩座は、ひたすらフィジカルな戦いを好みます。例え相手が敵(鬼殺隊員)であっても、「努力を積み重ねた末の鍛錬された強さ」には対等に敬意を払い、そして結構お喋りが好きで相手の名前を知りたがります。
「強い!」「これはいい!」「好敵手だ!」「素晴らしい~」と感じた相手には
→「ずっと俺と戦い続けよう!鬼にならないか?もっと強くなれるぞ!」と相手に話しかけ、嬉々としてスカウトすらする無邪気さすらあります。
逆に、肉体的に弱い者を「弱者」とし忌み嫌います。(鬼となった彼からすると、肉体や体力の限界を持つ人間全てが最も忌み嫌うべき弱者そのものなのです)
ここに
愛=肉体的強さで大切な人を守れること、という猗窩座(あかざ)というか狛治(はくじ)の極端な認知の偏りが見えます。
◆人間時代の記憶を失った猗窩座の盲点
それは、目的と手段の逆転です。
鬼となった猗窩座は人間時代の記憶をすっかり失い、「俺はなぜ強くなりたいのか」の目的をすっかり忘れてしまっていることに自らも全く気づきません。
彼はなぜそんなに「強くなること」に拘ったのか?
そう、それは「大切な人を守りたかった」という深く大きな痛みから生まれた、愛溢れる目的からでした。

目的:大切な人を守りたい
手段:だから俺はもっと強くなる。鍛錬を重ね誰よりも強くなる。
鬼となった彼は、この「手段」 強くなる! が日々を生きる目的そのものとなってしまいます。
結果、自分の大切な人たちの殺害には全く関係のない人間を次々に襲って喰らうという時間を、その後約300年間にも渡り生き続けてしまうのです。
(鬼滅の刃の舞台は、1912~1926年の大正時代と言われています。江戸時代の罪人入れ墨は大体1600年~1860年代に実施)
◆人生が苦しくなる原因
この原因の一つが、手段と目的の逆転です。(と、私は親の生き様を見ていてつくづくそう思います)
それは、目的を達するための手段だったものが、いつしかそれ自体を追求することが目的となってしまうことを指します。
言わば、森を見ず枝葉ばかりを見てしまうような状態です。
だから道に迷い、そもそも自分がどこに向かうために何をしていたのか、よく分からないようになります。
自らが五里霧中状態に入って行った、そんな風景です。
例を挙げますね。例えば
【目的】お金を貯めよう。妻や子どもが、何不自由なく暮らせるように。
【手段】「節約」と「もっと働く」だったとします。
それがいつしか、「節約に次ぐ節約」「もっともっと仕事をせねば」を追求する日々となり、食べるものの食べず、家族と団欒する時間も無くなり、ギスギスした暮らしの中で寝る時間すら失うオーバーワークの末、大病に至る。
↓
結果的に本人は健康を大きく損ない、家族は心を痛めながら看病の日々、そして以前以上に働かねばならない ← 目的達成できてない!
◆毒親さん あるある の「目的と手段の逆転」
実に分かりやすいので、うちを例にしてみましょう。
【目的】子ども達のために、家庭平和を守りたい
【手段】父のギャンブルからの借金を、母が返し続ける
結果、家庭はどうなったか。
父と母は強烈な共依存関係となり、離れられず、皿が飛び交うような母のヒステリックや父への呪いの言葉と怒声が家を埋め尽くしました。
父はそれさえ耐えれば借金を返してもらえるので、延々と自分の尻拭いをしなくても済みます。
その結果、ギャンブルは40年続きました。←「家庭平和」なんてどこへやらの目的完全不達成。
私のきょうだいは巻き込まれ、精神を病み、寛解後も被害者モード全開でまた母と共依存。
いまその子ども(私の姪っ子)が、またまた漆黒の闇の中に引きずり込まれております。←「家庭平和」どころか、負が思いっきり世代間連鎖。
このように、そりゃ うちの母も不本意だったでしょうが・・・
現実的に誰が一番甚大な被害を被ったかというとうちの場合は私ときょうだい。そして私の姪っ子なわけです。
つまりは目的と手段を違えた本人に対して本来全くの無害だった者が、一番理不尽且つ辛く酷い目に遭い、心を痛める。そのような結果となります。
そして何より忸怩たる想いが湧き上がるのは、この「無害だった者」こそ、目的と手段を違えた本人が最も守りたかった者だということ。
あなたは、目的と手段を違えた親自身の問題に今も巻き込まれていませんか?
まだ巻き込まれている、とても影響されている、と思われる場合、心を鎮めよくよく大人の思考で考えてみませんか?
「それ、もともと誰の問題でしたか?」
次回は「猗窩座(あかざ)と自己受容」について、書いてみたいと思います。
「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。