毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。
今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。
前回のブログから、えらく間が空いてしまいました。ごめんなさい。
親との連絡断絶から4年を経て、今年1月下旬からまた接触再開した私と母の関係 + 現在進行形で手配中の高齢者介護の最新公的サポート体制なども本編に織り交ぜながら、書いていこうと思います。
心理的な解説も交え、介護に関係ない方にもお楽しみいただける内容となっております。
◆このブログのポイント
⑧ 毒親の介護に関わるなら、まず自分へ「どうしたいのか」質問しよう
⑨ 毒親の介護に関わるなら、必ず⑧の答えを必ず自分に確認しよう
⑩ 高齢者介護でお世話になるのは、地域包括支援センター。担当者選びと現状の伝え方
ではひとつづつ、説明してきますね
どうか必要な方に、届きますように。
ざっとこんな感じです。↓
・2019年3月~12月 親への怒りから私がカウンセリングに臨む
・2020年2月4日 コロナ直前、実家へ帰省
・2020年7月20日~8月頭 母との連絡を断絶開始
~序曲~①https://original-ownlife.com/blog-2024-05/
~序曲~②https://original-ownlife.com/blog-2024-06/
・2022年10月22日 ギャンブラーな父、逝去(私、コロナ禍にて日本へ帰国せず)
・2024年1月20日 母との再会 ←③連絡断絶後の母との再会(認知症と歩行困難)
https://original-ownlife.com/blog-2024-07/
・2024年1月24日~ 母の介護手配開始 ←このブログ、ココ
・2024年3月21日 母、介護保険証取得。介護度は要介護1 ←⑤~自分の命を人質にする、という脅し~
https://original-ownlife.com/blog-2024-09/
・2024年4月9日 母にケアマネジャーが付き、介護プランが決まる←⑥だからね、人が離れていくんだよ、お母さん
https://original-ownlife.com/blog-2024-10/
・2024年4月11日 介護プランを担う様々な事業所と母が契約開始←⑦毒親運営の機能不全家庭で最も欠落している要素とは?
https://original-ownlife.com/blog-2024-11/
◆ポイント⑧ 毒親の介護に関わるなら、まず自分へ質問しよう
約4年ぶりに再会した母は、認知症初期+歩行困難な状態になっていました。
いや~~ 考えましたね。「私はどうしたいのか?」
そしてここが先ず、以前と違うな、と自分で実感しました。
2019年カウンセリングに臨む前の私は・・・
「母は私にどうして欲しいのか?」を真っ先に考えていたから、です。
そういう自分への問いかけになる背景には、「一体どう振舞えば、何にどう役立てば、母は私を認め愛してくれるのか?」という想いが常に自分の心の奥深くにあったからに、他なりません。
どれくらい?って、もうそれこそ40年くらいそういう「親からの愛の渇望」を内包しながら生きておりました。
もっと極端に言いますと、「あの親から愛されない私、親を笑顔に出来ない私には、何の価値も無い」
針で射抜かれるようなその痛みと、私という存在そのものが脅かされる無価値観を二度と感じたくなかった、ということです。
もっと平たく言いますと、それらの「怖れ」からくる「私なんて・・・」という崖っぷちの絶望を また 感じるのが怖すぎて、いつもせっせと母を助けようとしていた、母に構い続けていた、と言えます。
「また」と書いたのは、こういう怖れや絶望感が自分の幼少期に何度も家で繰り返されたことを示しています。親の事情がどうであれ、子どもから見て安心安全の無い空間が機能不全家庭と称されるものです。
◆自分の思考を観察してみてくださいね
皆さんも、試してみてください。
何か辛いことが有った時、ご自身はまず脳内でどんな言葉を発していますか?
「また、だ」「ああ・・やっぱり」(←ものすご~く無意識に、そう思っていることが多いです)
こんな言葉を自分の中で発見出来た場合その負のパターンが遥か昔から嫌と言うほど繰り返されている
ということです。
◆自覚していなかった、私の「不自由な信念」
不安定な父母に愛されたくて、幸せになって欲しくて、4歳くらいの幼き私が持った「不自由な信念」(潜在意識下の強い思い込み)の一つが、「私が何とかしなければならない!」でした。
2019年カウンセリングに臨んでいた過程で私のカウンセラーが見つけてくれた、記念すべき不自由な信念がこれです。(他にも一杯ありました。今でもゼロではないです!人間ですからね。)
父母が苦しそうだと、この私の中の「不自由な信念」が数々のイタイ思い出と共に大発動し、私はいつも父母を助けよう、何とかしなければ!!と必死のパッチで頑張ってしまうんです。
(実に4歳~45歳くらいまで、これやってたんです!びっくりしません?この長期・・・)
そしていつも助けられず、いつも報われず、それどころか悪者にまでされ、「また、だ」「ああ・・やっぱり」と脳内でつぶやく自分がおります。
こんなことを繰り返すことで、わざわざ更なる無価値観を自分自身に与え強化していくという、なんとも苦しい負のパターンを何度も繰り返しておりました(潜在意識って、「繰り返して強化が大好き!」なんです)
例えるなら「お母さんが痩せたいって、スゴク悩んでる」だから「私、今からゴハンを我慢する」みたいな、全く的外れなことをしていたわけです。
私が絶食しても痩せるのは自分だけで、母のダイエットはいつまで経っても成功しませんよね。
父母がずっと不幸な様子だったのは、本人たちの回避的生き方の選択の集積です。
彼らには被害者で在ることに、大きなメリットが有ったからです。被害者ポジションで生きる習慣が、何十年という日々に裏打ちされているからです。土台がほんと、しっかりしているんです。
↓
【復讐】という生き方 「助かりたい!」けど「助かりたくない!」
https://original-ownlife.com/blog-2022-4/
そして「私が何とかしなければならない!」→父母は助かろうとしない→【また】「私が何とかしなければならない!」→父母はやはり助かろうとしない→【またまた】「私が何とかしなければならない!」・・・
始まりは「私を認め愛してもらうため」(父母の役に立ちたい)でした。
いつしか私は無意識で私のために(自分が困るから)父母を助け続けていたという、なんとも出口の見えない負のループにはまり込んでいたのです。
ループとも言い難い・・・繰り返し回りながらどんどん堕ちて行く、みたいなイメージね。怖っ。
◆ポイント⑨ 毒親の介護に関わるなら、必ず⑧の答えを必ず自分に確認しよう
私が私に確認できた内容は「母に産んでもらったこと、飢えずに育ててもらったことへの恩は最低限人道的に返すことにする」です。
つまりは、自分として感謝できる「事実のみに恩返し」をしよう、と思いました。
そしてこれ、母のためではなく、私自身のためなんです。
今回はそれが、ハッキリと自覚できました。
母の全てを見捨てたら、余りにも非人道的過ぎて私自身が後々自分として必ず後悔するだろう、自分を好きではいられないだろう、という私のエゴです。
カウンセリングに臨む前は「私が何とかしなければ」を、全く自覚できず負のパターンに振り回されていた私ですが、今回の母の介護手配は「私が私として後悔しないために、何とかする」です。
エゴはエゴと自覚できていれば、現状を打開できる計画や戦略になる!と、自分では考えています。
なぜなら、計画や戦略には時間制限と目標があるからです。
自覚できていないと、振り回されます。かつての私のように。ぶんぶ~~ん 振り回されます。
母の介護手配は、最速2024年年末に母を施設に居れるところまで、仕事モードでドライにやっていこう。
私はそう、決めました。
◆ポイント⑩ 高齢者介護でお世話になるのは、地域包括支援センター。担当者選びと現状の伝え方
娘の成人記念写真を日本で無事撮り終えた私は、翌日の1月23日に香港の自宅へ戻りました。
そして1月24日朝一から香港より日本へ電話をし、介護手配を一気に始めました。
下記は私が行った手順と、担当者選びに必要と感じる事柄です。
参考になれば、幸いです。
1. 介護対象者がいるエリアを担当している「地域包括支援センター」へ電話
(厚生労働省ホームページで検索可能)https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/index.html
2. 40~50代前後の「ネットを普通に使える担当者」を、選ぶ(この世代なら、社会的にまだ現役世代です。ネットやスマホを使えない方は少なく、そしてベテランとしての経験値をお持ちです)
恥も外聞もなく、そう電話口で要望してみてください。介護手配も介護も一瞬では決して終わりません。この相談員の方とは、2~3ヶ月に渡り接触が続きます。
3. 介護者の現状を簡潔に話し、こちらの事情も率直に話す(感情的になると話の焦点が定まらなくなるため、行政に何をどうして欲しいのか、自分としては何が出来て何が出来ないのか、が伝わりにくい)
4. 性差別するつもりは毛頭ありませんが、出来れば担当者は男性がベター。(理由は、男性の方が往々にしてロジックな解決脳を持っており、仕事として福祉に従事されている感が強いからです)
この地域包括支援センターは、父の介護手配でもお世話になったところです。(2016年ごろ私が行った父の介護手配は、不自由な信念「私が何とかしなければ」大発動、際限のない苦しみの中で行っております)
今回私はたまたま電話に出てくださった担当者に、母と自分の現状を率直に話しました。(認知症、歩行困難)これがまた、すこぶる有能でロジックにサクサク手配を進める50代前半の男性担当者だったんです。ご縁に深謝。
私が伝えたこと ↓↓
① 私は海外在住で、介護で帰る気は毛頭ない。
② 妹は心の病も経験しておりメンタル弱く、すぐ感情的になるため介護には関わらない(妹のメンタルが落ちると、私の甥に被害が及ぶ。何よりそれを避けたい)。
③ 母は何も考えておらず且つ散財が過ぎ、お金が無い。私も妹も、一切出すつもりは無い。そして以降、母には極力関わりたくない。
とてもとても困っています、どうか助けてください、と現状を簡潔に率直に話しました。
◆この【担当者】って何者?
地域包括支援センターの【相談員】と称される方は、大体【社会福祉士】という国家資格を持った方です。
ざっくり申し上げますと
親の事情を話すと介護対象者の自宅を訪問して下さり、介護対象者を観察し(身体の不自由さや認知能力)、介護認定を取るまでが仕事範囲です。
↑
福祉用語で言う「相談援助」が【相談員】の担当範疇。
介護認定には
「市町村への手続き」
+「市町村から介護認定員の派遣と調査」
+「かかりつけ医からの意見書(母の場合は、膝関節症で歩行困難です!と医師に一筆頂く)」
が必要なのですが、【相談員】はこれらの予定を立て全て私たちの代理として行ってくれます。
↑
家庭訪問から介護認定まで最速1.5ヶ月くらいかと、思います。
うちは母が認知症初期で内容が全く理解できず、本人がかかりつけ医(膝を診てもらっている近所の整形外科)に赴くまで2週間以上かかり・・・(私から母へ「行け」と毎日電話した)【相談員】自宅訪問→介護認定取得までに、2ヵ月くらいかかりました。
「かかりつけ医からの一筆」は、「ご家族、付き添いくださ~い!」と言われます!
「市町村から介護認定員の派遣と調査」は、「ご家族、立ち合いしてくださ~い」と言われます!
私は「どちらも無理」と最初から言いました。
【相談員】が「僕で良ければ立ち会います」「僕からお母さんのかかりつけ医に、メッセージ入れます」と言ってくださり、もちろん「お願いします!助かります!ありがとうございます!」と全てお任せいたしました。
介護認定が取れたら、「ケアマネージャー」(これも国家資格)に担当が変わり、介護対象者に対しての具体的な介護プランがやっと始まります。
この「ケアマネージャー」こそ、相談員より長く付き合っていく方です。
どのケアマネージャーに引き継ぐか、これも相談員のお仕事範疇です。
なので、この相談員と率直に話し合う、現状を伝えておく は本当に大切です。
この辺りは、次回以降に書きますね。
◆非難されそう? 大丈夫です!
「恩知らずの娘だ」
「行政に丸投げって、責任感ないやつだ」
「非常識だ」
「子どものくせに、親を捨てるのか」
な~んて、日本社会の在り方からすると、大非難されそうですよね!
日本社会というか、これ元々「孝行」という儒教概念だと思います。
でも大丈夫ですよ。仮にそんな相談員に当たったら、担当変更を申し出しましょう。
経験を積んだ相談員の方は、本当に様々な家庭や親子関係を見て来られています。
そして、あくまで私の感覚なのですが、この方たちはその体験を通じて心底ご理解されているのではないかな、と思うんです。↓↓
「子どもが親に対してこのような接し方になるのは、長きに渡り余程の事情がある」こと。
そしてそこに自分たちが介入しても、自分の仕事が滞るだけでロクなことにならないということ。
この挿絵は対面の相談みたいになっていますが、私の場合は最初の国際電話とメール、オンラインビデオ通話、その数か月後に私が別の用事で帰省した際に相談員の方と1時間くらい実際お会い出来た、という感じです。
意思疎通が出来るなら、電話でもメールでもビデオ通話でも何でもいいんです。
2016年、父の介護手配をしたときは65歳くらいの年配の相談員でして「固定電話」しか連絡手段がなく、電話代(香港→日本)が大変なことになりました。
◆行政として困ること & 降参したもん勝ち
行政としてもあちこちで高齢者に徘徊されたり孤立死されたら、大変困るわけです。
だからと言って、この高齢化社会で特養(公立の特別養護老人ホーム)は、もう満床。誰でもすぐ、施設に入ってください!とは行かない。
子どもと若者人口が減り続けている日本では、高齢者にもなるべく現健康状態を維持してもらい、家で暮らしてもらいながら買い物や旅行等で経済効果の一端を担って貰いたいのです。
ならば
依頼内容が冷たくても非常識でも何でも、「介護対象者がいる、宜しくお願いします」と親族から地域包括支援センターへ連絡入るのは歓迎してくれます。
地域包括支援センターからしたら、少なくとも「この親族とは、連絡が取れる!」事実は、仕事がスムーズに進捗する喜ばしい事なのです。
(親族の態度云々ではなく。なぜならこれ以降、親族として了承必要、という場面が山ほど出てくるからです)
後期高齢者介護は、国を挙げての事業です。
そしてその実務機能は市町村に在るため、県や区よりも動きがずっと細やかで敏速です。
遠慮する必要は、どこにもありません。
どうか親の介護に必要以上の責任と罪悪感を背負わず、「助けて!」と行政に諸手で降参の白旗を挙げましょう。
これは責任放棄でも、負けでもありません。
あなたが、ご自身の人生を大切にしているという意志表示に他なりません。
そして・・
福祉担当者を選ぶ!? 丸投げで任せる!? 私、立ち合い・付き添いできません!!がとても言えそうにない方、とてつもなく罪悪感を感じる方、是非お試しカウンセリングにお越しくださいね。
話す = 放す です! 自分の荷物以外は下ろし、楽になりましょう~
「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。