毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。
今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。
今日は
「利き手親指の担当・活躍範囲」からの 気づき について、感謝を込めて書いてみたいと思います。
私は日本にいた25歳まで、約10年間バスケをしていました。
集団行動の超苦手な自分が、唯一「楽しい!」と全開で思えるのがこの団体競技だったりします。
◆バスケを始めた動機は・・・
かつて少女漫画雑誌「りぼん」で大ヒットし映画にもなった『月の夜 星の朝』というバスケ恋愛漫画がございまして、それに憧れて!です。
小学校の頃、学校から走って買いに行かないと売り切れるくらいの人気雑誌でした。ライバルは「なかよし」と「ちゃお」。
バスケ関係ないけど、その頃の「りぼん」にはまだブレイク前の「ちびまる子ちゃん」が掲載されていました!
25歳の年に香港へ来て、40歳まで仕事が超激務で(ここに私のアダルトチルドレン性「認められたい」あり。ワーカホリックで過労死寸前)、「これはマズイ!」と転職した後、40過ぎからまたバスケを週一で始めたんです。
(大変なチビで、学生時代みたいにはもう走れもしないのですが、バスケ好き!なんです)
香月プロフィールは、こちらから
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香港では日本人老若男女+香港人たちと、毎週末に2時間楽しんでいます。
声を出しながら走ったりすることで、ストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールが、吹っ飛びます。部活出身者が多いので、ほとんど部活のノリです。
毎週練習に行くと、筋肉痛にもならず、翌週は体が軽く感じられます。
しばしばサボりつつも、お蔭様で大きなケガも無く細く長く続けて来たのですが、1ヶ月半くらい前練習中に右手の親指付け根をひどく捻挫・・・(痛くて途中で抜けました)
その日、久しぶりに会ったバスケ仲間の仲良しと練習後にご飯へ行くも、痛すぎてお箸が持てない・・・ので、フォークで突き刺しながら夕飯を食べました。(それでも食べた!)
で、家に着く頃には、こんなんなってたわけです(泣)
練習後も冷やし、家でも冷やしましたが、まあもう、何するのもとにかくイチイチ痛いわけです。
親指って・・・こ~~んなに活躍してくれてたんや!それなのに、私は生まれてこの方、親指にただの一度も感謝をしたことが無かった、とモーレツに心から反省いたしました。
◆利き手親指の有難さと、その凄さ
下記は、この痛みと不自由な日常でやっと気づいた 私の利き手「右手親指の役割・活躍範囲」です。
- モノを掴む動作全般が、もう苦痛
- お箸、ペン、消しゴム、パソコンキーボードのシフトキー、マウス 全てが痛い
- パンツやズボンの脱ぎ着は、うめき声と共に
- アイブロウ、ビューラー、マスカラなど「掴む」系を使うお化粧が全く上手くいかない
- ドアノブや鍵が回せない(右回転多し、左手ではかなり困難)
- 紙をクリップでとめれない
- ハサミでチョッキン!ホッチキスでパッチン!の肝心な最終動作が出来ない
- 財布にお札を入れられない、小銭出せない
- お風呂で体を洗うタオルが持てない
- 歯ブラシ握れない
- お椀の縁をきゅきゅっと洗えない
- マグカップの取ってが持てない
- カバンからケータイが出せない
- ペットボトルの蓋を開けられない
などなど。
◆使わないよう、かなり頑張った左手頼みの毎日
治りが悪いのは「使うから!」(年も関係してるかも、ですが)。
なら「使わない」一択。早くまたバスケに行きたい!というより、日常から痛みを消したい。
スーパーサブとして勿論、左手さんには未だかつてないほどの使用頻度で活躍いただきました。
お蔭様で、右脳が活性化した気がします。
しかしですね、お箸・ペン・お化粧 辺りはもう代打では無理というより、左手での限界、つまりは「不可能」でありました。
去年まで3年間、福祉大(通信学科)で学んだことがふと蘇ったりもしました。
「手指の後遺障害では、親指の機能を重く評価する」
人間の手の親指は他の指と横並びにはついておらず、実に機能的な位置にあります。
ネットで色々と調べてみると「私たちの大脳の領域 約3分1が指と手をコントロールするために使われている」そうです。(なので、逆に言うと手指を使うことで、認知症などの予防にもなると言われるのですね)
◆「いまここに在る」は、当たり前ではないという実感
この1.5ヶ月~2ヶ月は、本当に日々そう感じました。痛みが無い、不自由が無い、これは決して当たり前ではないと言うこと。
頭では分かっているつもりでも、私たちは「実際そうなってみて」初めて身に染みることが多いですね。自分も含め人間って、つくづく頭でっかちな生き物だと思います。
◆「当たり前」と「習慣化」、心も身体もね
心身は繋がっているため、心も体も痛みだした当初は大変苦痛で抜け出したい、取り除きたいという想いが日常に溢れるように思います。
ところが例えば私のこの親指、もうずっと恒常的な痛みが何年も、何十年もあったとしたら・・・
きっと「痛い」「不自由」という感覚は麻痺し、何らかの工夫を増やしながら「これが普通」という状態に至ると思います。
逆にそうしないと、生きていけないから、とも言えますね。
関連ブログ【習慣】が人生を創る!
https://original-ownlife.com/blog-2023-5/
苦しい日々、辛い日々が「当たり前」になると「どうせ私の人生、こんなもんだ」が前提となり、心の感覚が麻痺していきます。(これ以上、自分が痛みを感じないように、です)
でも本当は、もっと楽チンになることを、御自身に許可していきたい方、いらっしゃいませんか?
そんな方は、心身の痛みをお話しいただくことで、今まで見えなかった、いや 見ないようにしていた自分の人生の新ビジョンが見えるかも知れません。
「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。