あなたの人生を止めてしまう【被害者ポジション】。その後に待ち受ける〇〇停止と〇〇〇化とは?~前編~

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

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今日は私が個人的に「ゾンビ化」と呼んでいる「被害者ポジションからの思考停止」について、書いてみたいと思います。

~後編~はこちらから
https://original-ownlife.com/blog-2023-8/

いきなりタイトルの〇〇、全部書いてしもてます!(笑)

実は私、ゾンビ映画やドラマがかなり好きであり、初めて行く場所ではいつも「襲撃されたらどう逃げるか?どう戦うか?」をシミュレーションしております。

(娘からは「それ、なんの役に立つん?」と言われます。「大切なあなたをゾンビから守るためだ!」と答えるようにしています)

そんなことはさておいて、このブログは重くなるかもですがご容赦くださいね。

まず「被害者ポジション」とは、端的にいうと「常に何かや誰かから攻撃される前提」で沢山の怖れを抱えて生きることを指します。

◆被害者ポジションを手放さない人の最終形

自分の原家族を長年観察するにつけ、私としては被害者ポジションを手放さない最終形が「身体は生きているけど、もうすっかり自分ではない」状態、つまりは「思考停止」だと思っています。

私が育った家では、いつも誰かが死にたがっていました。父も母も祖母(父方)も。幼い頃の私は、常にそう感じていました。

今から思えば、死にたい=この現状から今すぐにでも逃げ出したい!こんな人生、もう今すぐ辞めてしまいたい!もうこのまま消えてしまいたい。

私の周りにいた大人たちは、常にそのような感覚で生きていたのだと思います。

何かまた怖い始まり方をしてしまっていますが、どうかご安心ください。

これを読んでくださっているあなたは、思考停止していません。していたら、カウンセラーを探そうなんて思わないからです。

ここに来てくださった方は、現状を何とかしたい、そう思う「自分の声」に耳を傾けられる方々です。それは「自分や自分の人生を大切に扱う気持ち」に他なりません。

話を戻しますね。

◆「思考停止」には、それ相応の辛すぎる背景がある

我慢、抑圧が長期に渡り続くと(20年以上だと、個人的には親を見ていてそう思う)、人は余りの辛さから自分を護るために思考停止を選ぶことがあります。

その辛さとは、一見すると周囲の状況や自分の周りにいる嫌な人達が原因に見えたりもします。

しかし実際にそこに居続けていることを選んでいるのは本人であり、でもその実もう消えてしまいたいほど毎日苦しい。

なのに「ずっと自分の本当の気持ちに嘘をつき続けている」からこそ、生じる辛さであります。

そこに居続けている理由は、様々です。強い見捨てられ不安や、自己無価値観、無力感、プライド、世間体、そこへ費やして来た時間や労力に対する意地、などなど。

その後は・・・
思考停止期間が長くなれば長くなるほど、もう「自分」にアクセス出来なくなります。これ、本当です。

なぜなら、自分の内なる声(つまりは本音。もう嫌だ!すぐ逃げたい!とっても怖い!痛くて悲しい!など)を何十年にも渡り無視し続けて来たからです。

泣き叫び続けても誰も耳を傾けてくれなかったら、私たちだって日常で人に対して助けを求めることをやめてしまいますよね。これ、自分対自分という内なる対話でも同じことなんです。

無視と言う行為は、現実の世界でも、自分の心の中でも等しく「存在対象の抹殺」です。

◆自分の人生の舞台は、空っぽ

そして内なる本当の叫びを自分が抹殺し続けた場合、気づかぬうちに自分の人生の舞台から降りてしまいます。

「もう自分や自分の人生を、自分ではどうにもできない」という絶望。それだけを舞台に残して、主役本人は・・・観客席へと引き上げます。そしてガラガラの観客席の後ろの方から、自らが置いてきた「絶望」をぼんやりと見つめ続けます。

そんな状態は自分にとって本意か否か、もうそこすら考えることがなくなります。
だって能動的に考えて「私、本当はこんなの嫌!」って気づいたら、「また」舞台に上がり直さないといけなくなりますしね。

上がったら上がったで、また「自分はどうしたいのか」の葛藤が始まります。

ならもういっそのこと「考えない」ようにしたらいいのです。ずっと後ろの方の観客席に座って、ぼんやりしている方が、楽なのです。そしたら気づきからの行動も、葛藤も、全てが自分の蚊帳の外となるからです。

「思考停止」は、
そういった堂々巡り、無限ループな辛さから逃れるため本人が苦悩と葛藤の果てに選んだ根本根絶治療とも言えます。

だからこそ、年を重ねながらこうなってしまった以上、自分の人生舞台への主役としての再登板は非常に厳しい、と私は捉えています。

ただ、「したいように生きるのが一番」だとすると、それも本人の選択である、とも思います。

~~~後半に続く~~~
~後編~はこちらから
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