【カウンセリングコースご卒業】クライアントS様 振り子の戻り幅の意味とは?

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

今回は、今年2月に半年コースを卒業されたクライアント S様(50代前半 女性)に、触れてみたいと思います。(ご本人に掲載許可を頂いています。以下 Sさん とお呼びします)

華やかな雰囲気を纏った美人さんで、ピアニストとして活躍されている才能と感性あふれる女性です。

特殊なお仕事、別世界!と敬遠されず、是非最後までお楽しみください。

Sさんが苦しまれていた根本は、私たちと同じです。

解決に向けてのヒントも織り交ぜながら、書いていくようにいたしますね。

◆この方のお悩みとは

「亡くなってしまった母への強い怒り」でした。

Sさんのカウンセリングに対するご感想は、こちらから
https://original-ownlife.com/voice/#s-san

このアンケートをメールで頂いたとき、ご本人のメールには「拙い手書きでごめんなさい」と書かれてありました。

そうなんです!

カウンセリングを卒業され、「ああ、そういうことだったのか」が腑に落ちると、色んな事がとってもシンプルになり、だからこそ感想もとても簡潔になるんです。

「拙い」とご本人は仰いますが、そうではなく、シンプルになったのです。*( ᵕ̤ᴗᵕ̤ )*

この「命あるから生きる」というとってもシンプルで自然な行為を、愛憎と葛藤で極限まで複雑化してしまうのが機能不全家庭というものであります。

◆「可哀想な母」

Sさんのお母さんは7年前に亡くなられており、恐らくは何らかの障がいを持たれていたと言うことでした。

それ故もあったのかずっと見識の狭い世界で生き続け、同じ愚痴、同じ文句を何十年も繰り返されていたとのこと。(「可哀想な母」は、往々にしてこのような感じです)

「だから自分はどうしたい」という自らの意志が全く垣間見えない母の生き方を、Sさんはイラ立ちと共に心底軽蔑されているように感じました。

そして、こちらもまた何らかの精神障害があったと思われるお姉さんとの関係も、Sさんのお話を聞くにつれ、Sさんの生育歴の苦しさに拍車をかけていることが分かってきました。

Sさんが育った家では、父母が常にお姉さんの機嫌に振り回されていました。

◆「私」を閉ざさざるを得なかったSさんの生育歴

そんな環境下でSさんは自分の言いたいことを常に抑え、嬉しい時も悲しい時も感情を露わにしないことを、何十年もの長きに渡りご自身に課してらっしゃいました。

勿論それは大変な我慢を伴うことですから、「いっそのこと・・・」と、自分に対して自分の感情を感じることを禁止してらっしゃったとも言えます。

これは、子ども(2~6歳くらいまで)が「よし、今日からそうしよう」と思って自制できるものではありません。(だって感情全開のワガママ人間だからこそ、子どもなのですから。大人だって、全感情ストップなんてできませんよね)

◆Sさんが、感情を閉ざしてまで護って来られたもの

ありのままの自分で感情表現すれど、何時だって誰一人として、それを肯定し受け止めてくれなかった・・・

感情全開で然るべき幼児期~少年期に、もう涙すら出なくなるその漆黒の闇の中に於かれたような孤独感・孤立感・疎外感・絶望感。

それを何度も何度も、来る日も来る日も繰り返し体験されました。

それゆえの「感情ストップ」です。

どんなに長い長い時間だったでしょうか。想像を絶します。

そしてSさんは、ご自身に「感じることを禁止」したからこそ、あの家で生き延びて来られたことがカウンセリングを通じて分かって参りました。

そうやって、ご自身の命を護って来られたのです。

ご本人も随分と幼い頃から「感じてはならない」と、歯を食いしばってらっしゃったことをハッキリ覚えていると仰っていました。

きっともうこれ以上何かを感じた途端に、パリンと音を立てて割れてしまいそうになる自分のハート

ぎゅっと大切に大切に握りしめ、そして護りながら日々を過ごしてこられたのだろう、と胸が詰まる想いでお話しを聞かせて頂いてました。

◆私も大いに持っていた「正しさの刃物」

そして
「母よ、お前は間違っている!」「お前の人生は!生き方は!全部全部全て間違っている!」という、Sさんの中での「正しさ」の刃物の大きさが、そっくりそのまま私自身がカウンセリングに臨む前に持っていた感覚でした。

私自身もカウンセリング前の数か月間、寝ても覚めても自分の中を駆け巡る尋常ではない怒りを自分で異常だと感じ、カウンセリングに倒れ込んでおります。

◆特定の人にだから感じる強く大きな感情

人は何故、自分でさえ呑み込まれてしまいそうな強く大きな怒りを、特定の人に対して感じるのでしょうか

それは、私たちの中にある深淵な痛みや悲しみ、寂しさに蓋をし自分を護るためです。

しばしば書いておりますが、正に「攻撃は最大の防御」なのです。

そして自分の中に在る痛みが大きければ大きいほど、それをフタする怒りの質量を大きくする必要があります。

つまりは、自分でも持て余すような大きな怒り = その下に隠されている自分の痛みの大きさ、と言えます。

これを最も平たく表しているのが「愛憎表裏一体」という言葉です。

相手を深く愛しているからこそ、その相手から思うように愛してもらえない時、私たちの中にそれと同じ深さの「憎」が生まれます。

◆私たちの心の奥のそのまた奥

丁寧に自分に向き合うと、それが実は大きく深い痛みと悲しみだったことが体感できます。

私たちは、とってもとっても愛され認められたかったのです。

大好きな母に。

ここがシンプル化すると、誰より何より自分がとっても楽になります。

そしてもう一つ。

自分がその愛を渇望する同じ深さ、いやそれ以上の深い想いを以て「母に、幸せでいて欲しかった」のだと思います。

子供にとって、母が笑顔で幸せ = 私も幸せ!に他なりません。

この循環で育まれて行くのが、「自己価値」や「自己存在意義」です。

母の笑顔を見て、私たちは日々感じます。

「自分は大切な人の喜びや幸せとなる、価値ある存在なんだ」と。

◆カウンセリングで私が感じていた、不思議なこと

Sさんのお仕事は、冒頭に記したとおりピアニストです。

このような「創り出す」お仕事で社会的成功をされているということは、本来のSさんが常人以上に情緒豊かで感性の人である、ということに他なりません。

(勿論、不断の努力で日々レッスンされています)

そんな方が、そのご自身の本質の最も足る特性である「感覚・感性」(右脳)を閉じて、半生を生きて来られたのです。

では、以前から今も「技術だけで」ピアノを弾いてらっしゃるのでしょうか・・

何だか、そうは思えなかったのです。

◆陰陽の哲学「光ありて影あり」

全ての事象は、相反する要素を内包しており、それらは敵対するものではなく、バランスと調和の中で共存している。

う~ん・・・(汗)

何やら分かったようで、分からない~~。

言い方が抽象化しすぎているから!

もっと平たく言うと、全ての事象に於いて陽(プラス)と陰(マイナス)の両面が必ず存在し、プラスがあるからマイナスがある【光が在るから影が在る】ということ。

それにより全てのバランスが保たれている。つまり陽(プラス)と陰(マイナス)は必ず同じだけ存在する、ということです。

心と身体の関係にも、これは当てはまります。

陽(見えるもの)を身体、陰(見えないもの)を心とした場合、私たち人間はその両方である心身のバランスが取れていてこそ「健全な健康状態にある」と言えますよね。

◆Sさんの人生往路のあの辛すぎる家庭環境は、何のため?

それは、右脳を左脳と同じくらい開くため、だと言えます。

振り子が振れている様子を、イメージしてみてください。

感覚を閉じざるを得ない辛さを伴った、Sさんの人生前半。原家族との日々。

ここ、振り子がマイナス側へこの上なく大きく振れている状態です。

その後振り子はどうなるでしょうか?

慣性の法則により、必ず同じ幅で振り戻ってきます。

このように「苦しい愛」を体験し続け鍛え上げた左脳の開きと同じだけ、右脳も実は開かれているということです。(Sさんご本人は「感覚を閉じていた」としても)

そこまでの右脳の開きを長年かけて用意しておかないと、ピアニストというご職業で自己実現できない、ということです。

そして潜在的に存分に開いた右脳を顕在化するのが、親の人生との線引き、つまりは本当の健全な自己愛に裏打ちされた「精神自立」です。

全ての方に於ける(勿論、私自身もです)このような自分自身を輝かせる精神成長の過程は、正に魂を磨くためにあります。

「魂を磨く」がスピ系みたいで嫌悪感ある方は、「人生の学び」という言葉に置き換えてみてくださいね。

◆実は日々磨かれていたSさんの感性・感覚の右脳

Sさんは大変な本好きで、幼き頃から今もずっと読書を習慣化されています。

人生を本により救われた、とご本人もおっしゃっていました。

正に「教育・知識とは、運命として与えられた生まれや育ちから自らを解放する」です。

読書って、単に字面を追うだけではなく、文字を取り込みながら(無意識ですが)情景をイメージしたり、登場人物の心情を想像したりしています。

だからこそ「感動する本」と呼ばれるものが、存在します。

Sさんって、実は幼き頃から右脳もかなり持続的に鍛えて来られた、と言えます。

今も継続して読書をされているので、ドンドンと活性化される右脳と左脳はこれからの限りなく成長、成熟されていくことと思います。

◆読書好きになったきっかけは

またまた、そして、です。

読書と音楽、これだけはしなさい、とSさんの幼少期から強く勧めたのは、他でもない「全部間違ってる!」はずのSさんのお母さんだったのです。

(お母さんは育ちが貧しく、ご自身は読書や楽器演奏をしたくても出来なかったそうです)

このような「グルンと回って起きたら、何だか景色の角度が変わってた~」みたいなことが自分の中で体感として落とし込まれると、不思議と「母=イヤ、大嫌い」という強固な 一事が万事 的な結び目が弛み解け、自然に枝分かれしてくるんです。

例えば、「母に、この部分は感謝してる」「でも、やっぱりあんなこんな出来事は許せない」みたいに、です。

◆それでいい!

私のところに来て下さるクライアントさんは、それはそれはもう大変過酷な生育歴の方ばかりです。

何でもかんでも許せるわけが、ないのです。私たち、人間だもの。

ただ「私たちは皆、幸せになるために(自己実現するために)生まれて来た」という視点が持てた時、あの大変な家でのサバイバルに於いて、「一体何を学ぶためだったのか」(自分の何をそこまで開く必要があったのか)が見えてくるかも知れません。

それにはまず、痛みを取り、ご自身を癒すところからカウンセリングは始まります。

◆終わりに

ご自身に感じることを許可されたSさん。彼女の奏でる旋律は、きっとこれからより多くの方の心に本当の感動をもたらすことと思います。

それはご本人が、最大の痛みを光に変えられたからです。

一層のご活躍を、心からお祈り申し上げております。

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。