【主体的生き方】と【反応的生き方】~中編~人生の残り時間を計算しました!さて、どう使いますか?

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

亜熱帯香港も、短い短い秋(みたいな季節)が始まりました。晴れた日が多く、ジメジメが和らぎ過ごしやすい毎日です。

日本は随分と涼しくなったと、友人から聞きました。紅葉や作物の実りなど、豊かな日本の秋を皆さまもご堪能下さいね。(心底羨ましいです!)

◆仲間と共著したkindle書籍

お蔭様でカウンセラー仲間と共著でkindle出版した書籍も、好調です。読んでくださった方々、感想を送って下さったり特典申し込みをしてくださった皆様、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。 http://www.amazon.co.jp/dp/B0CK4YSG44

◆関連ブログ

★ブログ前編は「同様の出来事があった」→人により選ぶ道は様々主体的選択をすることで、自分の納得いく未来に繋がる、という主旨で書かせていただきました。
https://original-ownlife.com/blog-2023-24/

★後編はこちらから【反応的な生き方をやめた後の世界とは】
https://original-ownlife.com/blog-2023-26/

◆自分を客観視する!という意識

今回は、【主体的生き方】【反応的生き方】で私たちはどのような在り方をしているのか、という部分を書きたいと思います。

人は誰しも、自分を100%客観視できません。

これはカウンセラーである私も、そうです。

ただ、だからこそ「客観視してみよう」という意識が必要です。100でなくていい、でも「そうしてみよう」が大切です。

客観視はそこから始まります。

そしてそれにより自分の状態や立ち位置というものが見えてまいります。

関連ブログは、こちらから【最強の客観視、洗濯機モードとは?】
https://original-ownlife.com/blog-2022-7/

因みに、客観の対義語は「主観」。主観的なものの見方しか出来ないときは、私たちってほぼ感情に呑まれており、視野狭窄に陥っております(それもまた、自分なんだけどね!)

ここでご注意いただきたいのは、自分への「客観視」と自分への「監視」は違うということです。

「客観視」とは、ただその様子を「ああ、こういう状態なんだ」と認識すること。

「監視」とは、「だから自分はダメなんだ」など、自分の状態に対してダメだししたり、他の人や世間の常識と比べて自分を責めたりすることです。

なぜなら私たちって自分監視の後には往々にして、「そんなダメな自分への罰」を与えてしまうからです。

それはどんな罰なんでしょう。

それは「決して幸せにならない」という罰です。

それでは各生き方に分けて、私たちの「在り方」を見ていきましょう。

◆時は命なり

まず、私たちが生きていける時間について

私たちのエネルギー(気力や活力、体力)は、皆さまも御存知の通り有限です。

食べなければお腹が空くし、寝なければシンドクなります。愛や想いがどれだけ有っても、お腹が空き電池が切れる、それが私たち人間です。

そして1日は24時間-6時間寝るとして=活動可能時間は18時間/日 です。

ここでは私たちの寿命を85歳、健康寿命を75歳として計算してみますね。

数字にしてみると、ぐっと現実的になりますね。ざっと下記のようになります。

・20歳の方:人生残り時間は約65年x365日x18時間=寿命まで427,050時間、健康寿命まで残り361,350時間

・30歳の方:人生残り時間は約55年x365日x18時間=寿命まで361,350時間、健康寿命まで残り295,650時間

・40歳の方:人生残り時間は約45年x365日x18時間=寿命まで295,650時間、健康寿命まで残り229,950時間

・50歳の方:人生残り時間は約35年x365日x18時間=寿命まで229,950時間、健康寿命まで残り164,250時間

・60歳の方:人生残り時間は約25年x365日x18時間=寿命まで164,250時間、健康寿命まで残り 98,550時間

◆【主体的生き方】に於ける私たちの在り方

様々な出来事や苦難を学びや糧・バネに変え、「だから私はどうしたい」と自ら選択していく場合、私たちは自分の持てるエネルギーを上記時間の全てに於いて自分に使えるようになります。

これは自己チューという意味ではなく、自分が「変えられる、変えていけるもの」に対してエネルギーを使うという意味だとご理解くださいね。

では、私たちが変えていけるものって何でしょうか?

それは「自分」のみです。

ダイエットに取り組んで変われるのは、自分のみ。

それと全く同じなのです。

具体的には「いまここ」での自分の心の在り方や意識の方向、身体の状態、口から出る言葉、もっと言うなら、それが毎時・日々積み重なって上記の時間を以て創り出されていく明日からの自分の未来も、私たちが変えていけるものです。

納得いく未来に至った場合、過去の傷や痛みも「あれがあったからこそ」と糧になります。よって正確には、過去への捉え方も「自分が変えていけるもの」と言えます。

糧にする と 許す は違います。許し難い人、許し難い出来事を許す必要はありません。

◆【反応的生き方】に於ける私たちの在り方

逆に【反応的生き方】は、様々な出来事から過去に囚われ、許せない人に囚われ、その傷ゆえに目の前の現実でも不快な出来事が繰り返されたりします。

感情の浮き沈みが激しく、落ち込みからの回復に時間がかかり、孤独感・不安感・不全感に苛まれる「いま」を過ごすことが、多いと言えます。

理由は・・・変える事の出来ない自分以外の人の言動や出来事に、自分が大反応して自分の次の言動を決めてしまうから。

文字通り「反応的生き方」です。

え? 誰って?

私ですよ!

カウンセリングに臨む今から5~6年前までは、非常に非常に親(特に母親)に囚われておりました。

囚われていることに気づかないのが、正に囚われているという状態なのです。(これが感情に呑まれ、視野狭窄・超主観的という状態です)

香月映見 プロフィールはこちらから https://original-ownlife.com/profile/

◆私もガンガンしていた【反応的生き方】

今から振り返ると自分は、「自分の変えられないものに対して、非常に莫大なエネルギーを注ぎ続けていた」としみじみ思う次第です。

私の場合は、自分の正しさの物差しをブンブン振り回し親の人生を是正しようとしていたんです。

ブログを読んでくださっている皆さまの反応の対象や反応への想いは様々かと、思います。

例えば
親のせいで、こんな人生になった!」「パートナーのせいで、こんな人生になった!」「〇〇のせいだ!」

私、それはそれはもう必死のパッチで、親の言動に大反応していました。「そういう習慣」で生きて来たのです。

親はずっと全てを間違っている!親の人生を正してやる!今までのことを私に謝罪しろ!もっと正しく生きろ!間違った生き方をする毒親め!私の正しさを認めろ!ってね。

ぐるぐるぐるぐる、同じことばかりを考えていました。過去も現在も親の在り方そのものが、全て許せなかった。

なぜあの人たちと同じ血が流れているのか、なぜあの人たちが私の親なのか。そんなことまでが私の怒りの対象になっていました。(ほらね、全部どうしようもなく変えられないものでしょ)


皆さま、反応的生き方の見本の見本にしてください。

そして、カウンセリングで癒しが進み、心の仕組みが解るにつれてこう思うようになりました。

私は10歳くらいから40半ばまで、実に30余年も膨大な自分のエネルギーを親に注ぎ続けていたんだって。

それはもう気が遠くなるような、膨大な時間なのです。

勿論、父母に笑顔でいて欲しい、「こんな人生、終らせてしまいたい」と言わず幸せになって欲しいという純粋な想いもそこにはありました。

「反応的生き方」は、特に親やパートナーがその対象である場合、往々にして愛憎表裏一体です。

それだけ相手に対する強い想いが自分の中にある、と言えます。

ただ自分以外は変えることが出来ません。よって「反応的生き方」は、激しく自分を消耗します。

そしてその後に残るのは・・・「報われない」という気持ちなのです。

長くなりましたので、後半に続きます。

後半では、「そんな反応的生き方をやめた世界」を書いてみますね。

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。