【主体的生き方】と【反応的生き方】~後編~反応的な生き方をやめた後の世界とは

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

★前編 : 鬼滅の刃から見える生き方の二極化と私たちの選択
https://original-ownlife.com/blog-2023-24/

★中編 : 人生の残り時間を計算しました!さて、どう使いますか?
https://original-ownlife.com/blog-2023-25/

今回の後半では、私自身の反応的生き方の最もたる原因であった「親」と連絡を絶った後の世界を書いてみたいと思います。

◆反応的生き方をやめた後の世界

いきなり結論ですが・・・こんな感覚になります。

「へぇ~!私のトップギア、こんなに速かったんだ!」

「ほぉ~!私のエネルギー、こんなに持つんだ!」

親との関係に悩む皆さまにも是非是非この感覚を体験頂きたいと思い僭越ながらカウンセリングを提供させて頂いています。

注意:連絡を絶つ、は私が個人的に選んだ方法です。それ以外にも方法はあります。ご自身が最も納得の行く方法を選んで、シンドイ親と一線を画す。それが一番です。

◆反応的生き方をやめるまでの逡巡

「もうあの親とは関わらない」には、結構な勇気が要りました。

それと、「もう関わらない」と決めた瞬間より、その「関わらない」状況を維持するのに最初半年くらいは忍耐が必要でした。

理由は親に「関わり続ける」も「囚われ続ける」も私の生き方の中ですっかり習慣化しており、何より自分が「どんな形でも親と繋がっていたくて」関わりを続けていたからです。

下記に記すのは、親への反応的生き方から離脱する前の私の過程です。親との苦しい関係の渦中にあり、何とかしたい!と苦しまれている方の参考になれば、幸いです。

◆親と自分の人生に境界線を引く前の私

「私の存在価値・存在意義」=「父母からの承認」が固く結びつく世界に長くおりました。

父母が私を認めるなら私の言うことを選択し、そして幸せになるはずだ。そう頑なに信じていました。

なぜなら25歳で香港へ来てから「母みたいにならないように」という自分の中の怖れを動機に、母なら絶対選択しない方をし続けた結果、私の人生は親と全く違う方向に好転して行ったからです。

だからそれを、母に対して伝え続けました。

「こうしたらお金に困らないよ」

「こうしたら毎日死にたいって思わなくなるよ」

「こうしたらこの結婚にも、大切な意味があったって分かるよ」などなど。

ただ被害者で居続けたい母には、全く届きませんでした。もちろん父にも、です。

関連ブログはこちらから。
【復讐】という生き方 https://original-ownlife.com/blog-2022-4/

私の声が届かない、親が生き方を変えない!それは、それは・・・父母が私を認めていないからだ!

私はただここにいるだけでは、意味がない!

私は役に立たないと愛されない!

この時、私の無意識下ではこんな「不自由な信念」(潜在意識下の強い思い込み)が発動しているのですが、その時は気づく由もありません。(無意識下なので、気づかないのは当たり前なんです)

◆カウンセリングで解って来た「客観視」する大切さ

総合すると約1.5年の自分のカウンセリングを経て、ところで映見さん、と自分に呼びかけ、聞くことが増えました。「あなた、長年そうして親に働きかけ続けて、あの人たちって何か変わりましたか?」と。

ちょうど箱庭にいる親と自分を、俯瞰するイメージです。

ぐうの音も出ませんでした。

認めるのはとてもとても辛く悔しかったけど、事実なーーーーんにも、1mmも変わらなかったのです!

それどころか父母の共依存はますます強固なものとなり、毒親指数も上昇し続け、ひたすら自分を粗末に扱い堕ちていく選択を「これでもか」と自ら継続して繰り返していくのです。

これがまた「私が父母を構えば、構うほど」(私が父母を是正しようとすればするほど)そうなっていくのです。

この時やっと、やっと分かりました。

自分が延々と、自分として「変えられないもの」に膨大なエネルギーx人生活動時間を、惜しみもなく注ぎ込んでいたことを。もうほんと、水道出しっぱなし状態です。

◆親から離れる決意が出来た、ある事件

カウンセリングに臨み1年が過ぎた頃、母による生活が破綻するほどのクレジットカードの乱用がまた始まっていることにたまたま気づきました。

母の誕生日が近かったので、クレジットカードのポイントを金券に変えてあげようと久々にカードのサイトにログインした時のことでした。

毎年1回そうしていたのは、母がとても喜ぶからです。

今度乱用したら解約、と1年前に約束していたので、母に電話をしました。

本人は「やめてぇぇぇ~~!解約いやぁぁ!!カードいるぅぅ~!わぎゃ~~!」とヒステリックに喚いていましたが、「ああ、予想通り。またか」と何だかもうどうでもよくなって「そういう約束でしたよね」とサクッと解約しました。

その時に「もう関わらない」と静かな確固たる決意が自分の心の底に生まれ、以降は一切の連絡を絶ちました。

◆イマイチ分からなかった、カウンセラーから言われたこと

その事件と前後して、お世話になったカウンセラーから「あなた、もう大丈夫ね。もうすぐ全エネルギーが、自分に戻ってくるよ!びっくりするくらい、アクセル踏めるよ」と言われていたのですが、「う~ん、どういうこと?私、これまでも結構頑張ってアクセル踏んできたんだけどなぁ」まだもっと踏めってことなのかな?なんて思っていました。

なぜピンと来なかったのか?

それは・・・ワタシが「未だかつて、自分エネルギー120%満タン状態を一度も体験したことが無かった!」からに他なりません。

◆エネルギー枯渇状態では、常に低速走行

「変えられないもの」にエネルギーを注ぎ続けると、当然ながら有限な自分のエネルギーはいつも残り少ない状態です。

そしてそこを丹念に埋めてくれるのが・・・湧き上がるように尽きない「報われない」という悲しすぎる想い、です。(全くエネルギー補充になってないので、飢餓感・不全感・無力感ばかりが増えていきます)

だけど大人の私たちは、親とのこととは別に現実的に維持しなければならないものがあります。

それは、健康な心身あってこその自分の暮らし。その維持には、仕事をしていくことも必要不可欠ですね。

また家族を持つ方なら、そこも維持していかなければならないのが現実です。

自分の中に大きな囚われがあると、現実の我事に回せるエネルギーが枯渇します。だからどうしてもチビチビとエネルギーを使う、低速走行になります。(現実にある我事に対して、一括投入できるエネルギー量が無い)

それでも頑張って走ろうとするので、上述した私のような「これまでも結構頑張ってアクセル踏んできたんだけどなぁ」=低速走行アクセル ベタ踏み が通常運転x何十年!みたいに完全に習慣化されるわけです。

◆親と連絡を絶ち【主体的生き方】に変更しました

それから半年後くらいに、全エネルギーが自分に戻ってきました。(親と連絡を取らない、がや~っと習慣化し、それが私の日常となった)

そしたら、ギアの使い分けが出来るんです。というか、使えるギアが増えていました

例えば新たな挑戦など踏ん張りが必要な時は、低速ギアで。(燃費は良くないけど、慎重に、ゆっくり目に。誰でも大きく失敗したくないし。)

そこを抜けたら、「さあ!」とトップギアで走りだす。そんな感じになります。

そして、ここに一括投入できる自分のエネルギーがふんだんにあることに驚きます。

アクセル、軽~いんです。しかも長時間持ちます。

そして、冒頭に書いた感覚です。

「へぇ~!私のトップギア、こんなに速かったんだ!」「ほぉ~!私のエネルギー、こんなに持つんだ!」そういう感覚が即ち、【主体的生き方】にシフトが始まった感覚かと思います。

今まで、枯渇したエネルギーでも踏める低速ギア一択でした。

しかもそれしか無いのが当たり前でして、だからそれをベタ踏みして走るという・・・大変燃費の悪い、疲れる生き方をしておりました。

いわゆる「人生修行モード」です。機能不全家庭育ちの方は、このモードの方が多いです。

私もその典型でした。

◆自分エネルギー120%満タンの前に

まず、過去の怒りや悲しみの吐き出しと癒しです。カウンセリングコース(最短2時間x5回)では、対面セッションと無制限メールをご利用いただきます。

何回も話してしまうこと、何回も書いてしまうことは、それだけ自分の深い想いや傷つきがあるということです。なので、ご自身が「もういいかな」と感じられるまで、何度でも話し・書いて頂いて大丈夫です。(私も、かつて憑りつかれたが如く書きに書きました、はい。)

これらを行わず、大きな葛藤や矛盾を抱えたまま(そこにエネルギーを奪われたまま)【主体的生き方】に強引にシフトしても、まず続きません。

続かないどころか、「そうできない自分」を責めてしまうことになりかねません。そしてただでさえ枯渇気味のエネルギーをその自分責め大会に充ててしまい、本末転倒となります。

良い例が、ネットで盛んに言われる「執着を手放そう!」です。手放せない想いには、必ず理由があります。そこを自分に対して知ってあげようとせず、手放しを敢行すると当然ながら手放せません。

そして手放すことに執着するという・・・手放そうとする前よりも、更にこじれた状態となってしまいます。

そして、その様々なズレが積み重なったシンドさが心身に顕著に表れ出すのが、往々にして40代~かと私は思います。

もし心身の変調を感じたら、どうかどうかそのままにしないであげてくださいね。

だってそれではあまりにも、自分が可哀想ではありませんか。

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。