私たちって、本当は【何にイラつき怒っているのか】

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

こちら香港は、2月10日(土)~の春節(旧暦のお正月)も過ぎ、蒸し暑い日々が続いております。

暑くなったり寒くなったりで、皆さまもくれぐれもご自愛くださいね。

と書いたものの、ブログをなかなかアップできず、すでに1月末近くになっておりますね(汗)

さて今日は、「私って、本当は何にイラつき怒っているのか」という、分かりそうで分かりにくく、且つ日常アルアルの出来事について書いてみようと思います。

この仕組みに気づけたら、恐らく結構な量のイライラが減り、その分「楽ちん・ご機嫌」が増えてまいります!

そしてそれらを積み重ねた日々は「生きやすい人生」へと、シフトしてまいります。

◆こんな体験はありませんか?

役所や駅、お店、会社、どこでもいいんですが、自分が何か頼み事や申請をするとします。

その結果、Aが欲しいとお願いしたのに、Bしか叶わなかった。アルアルでしょ!

こんな時、私たちの気分は往々にして2つに大別されます。

① 不快・不機嫌

イライラ、ムカムカ、かーーっ!!何なのよっ!全く!!と、時には悔し涙さえ出たり。

② 快・ご機嫌

Bでも叶っただけ良かったよ、

まっ、仕方ないか~。

と結構穏やかモード

この違いは、一体何なんでしょう?

状況は同じなんですよ。

両方とも「お目当ての要望は叶わなかった」というのが事実です。

では、下記にて原因を考えてみましょう~

◆内的要因の違い?(単に自分の性格や気質の問題?)

①と②の違いには、確かにそのような内的要因の違いもあるかも知れません。

それは単に性格や気質というより、気質に上乗せして性格を司って来た習慣。

いつも「どこを見ているか」「何を捜しているか」の意識習慣かと、私は思います。

無いものばかりを探す人、在るものを見つけられる人。

前者はいつも焦り気味、何かしらの不平不満があり、後者はいつも何かしらの感謝があります。

不平不満からは何も気づけず、人間としての成長は停滞から後退へと歩を進めます。

人が離れていきます。

対して

感謝からは様々な気づきが生まれ、人間として上や前に成長して行けます。

人から応援されます。

そして私たちが何より我がごととして捉えるべきは、これらの意識習慣が一秒 一分 一時間 一日 一週間 一ヶ月 一年と積みあがった先の未来が一体どうなるか?では、ないでしょうか。

この積み上げには、良くも悪くも凄まじい威力があります。改ざんや横領などは、決して出来ません!覚悟を持たないお気軽リセットも出来ないのです。

自分が積み上げた時間そのまま、そのものが、私たちの生きざまとなります。

良くも悪くも、です。

なのでいわゆる「毒親」と子どもから呼ばれる人達に於いて、穏やかで幸せそうにニコニコしている人はまずおりません。

往々にして、不機嫌であります。

自分の機嫌を自分で取れません。

それを何十年も積み上げてきた人生なわけです。(これは毒親たち本人の選択です。子どもは何も一切悪くありません)

身体・言葉・意識の習慣は私たちの性格となり、その性格で暮らす日々の時間が運命を創り、それが私たちの人生と成ります。

人は本当に、生きたように逝きます。

◆外的要因(接客した相手の問題?)

ここ と~っても見逃しがちなのですが、どちらも自分の第一希望であるAが叶っていないのに、下記のように 私たちの反応が分かれるのは、「対応してくれた相手の存在」からくる影響が非常に大きかったりします。

1. イライラ、ムカムカ、かーーっ!!何なのよっ!全く!!

1は、何だか相手から無下に扱われた感覚がありませんでしたか?

あ、はいはいはいはい、とテキトーに聞き流されたような感覚。

それは、あんたなんか取るに足りない存在なんだよと、嗤われているような、ドヤされているような感覚。

要は、相手の対応から「私は大切に扱われていない」と私たち自身が感じ取り、胸がズキンとし、鼓動速まり、1のような状態となります。

耐え難い自分の一番の痛みを感じたくないから、怒りを以てそれを蓋します。

正確には、怒りを以て自分を護ります。

なぜなら「攻撃は最大の防御」だからです。

因みに

怒る元気すらもう無い場合は、ひたすら悲しみに浸り動けなくなります。「ああ、やっぱり・・・」「どうせ・・・」とか無意識に思いながら。

怒るって、すんごいエネルギー要るんです。

見てください、上の図!

攻撃と防御、実は両方一人でしております。そりぁ、疲労困憊するよ、って話です。

2. まっ、仕方ないか。Bでも叶っただけ良かったよ~

2.は何だか、相手がよく話を聞いてくれたのではないですか?

例えば
「そうなんですね、それは大変ですよね。なるほど、だからお申込みに来られたのですね。承知しました。」みたいに、会話のやりとりの端々に心地よく挟まれる共感と寄り添い。

相手が自分を対等に尊重してくれた、感覚。

つまりは「私が大切に扱って貰えた」感覚、「解ってもらえた」という安心で安全な心地よさがあるからこそ、最も欲しいAが叶わず、代案Bであっても「ま、いっか」と自分がその結果にOKを出せます。

胸がズキズキ痛むこともなく「仕方ないか、まあ、いっか~」なんて思えて、また次に向かえます。

実は人って、例え思うような結果を手にすることが出来なかった時でも、そのプロセスに満足感や納得感があれば結果如何による自責や他責は生まれにくいようになっております。

そして今回の例でいきますと、その「プロセス」とは「私を大切に扱って貰えた」「私を解ってもらえた」という外的要因によるものなのです。

◆私を凹ませたその相手は、本当に手の付けられない極悪非道人間なのか?

怒りや悔しさに苛まれ、感情に呑まれている時はなかなか難しいと思うのですが・・・少し落ち着いたら、是非「私に怒りや痛みを感じさせたその人」を、しばらく観察してみてくださいね。

あ、この相手が親や兄弟姉妹、パートナーなどいわゆる「家族・親族」関係である場合は、関係が近過ぎて密過ぎて深過ぎて、良くも悪くもお互い遠慮がなく且つ甘えがあり、それが愛憎表裏一体となります。

なので「観察」は、練習を重ねないとかなり難しいと言えます。

よってこのブログに書いているのはあくまで「知人とも言い難い距離感のある相手」だと、ご認識くださいね。

なぜなら、私たち大人がいわゆる世間や社会で日々接触するのは、その距離感の人々が実に多いからです。

話を戻しますね。

その「私を凹ませた相手」を観察してみると・・・

恐らくは、その人と普通に会話し特に感情乱さずに帰る人や、何やら笑みまで浮かべながら会話をしている人もいたりするはずです。

そもそも、です。

役所や会社、お店で、接客態度が超絶ヒドイ人間を、組織はまず顧客担当窓口には配置し続けはしません。

当たり前ですがそんな人を表に出し続けると、苦情で業務に支障が出たりするし、商品は売れないわで、全く以て生産性や利益にも貢献しないからです。

そう考えると、こんな嫌な辛い凹んだ気分、否定されたような気持ちになったのは「全てアイツのせいだ!」が、果たして100%真実なのかな、となってきませんか?

こちらもご参考ください。
【主体的生き方】と【反応的生き方】
https://original-ownlife.com/blog-2023-24/

◆では、そのあなたの痛みはどこから来ているのか?

相手が手の付けられない極悪非道人間でない限り、往々にしてその私が「大切に扱われなかった」「解ってもらえなかった」の痛みは、私たちの内側の反応です。

ここはなかなかこのブログだけだと書ききれず、残念なのですが・・・

機能不全家庭育ちの私たちの心(潜在意識)に埋め込まれた強く不自由な思い込みやトラウマが、外の出来事(今回の例だと、様々な場所の窓口担当者)に反応し、負の感情を以て私たちを呑み込むのです。

◆生きづらさと生きやすさ

どう考えても、負の感情に呑み込まれる時間が長ければ長いほど、その頻度が高ければ高いほど、日々幸せを感じられず楽しくもないでしょう。

そしてそれを積み重ねた時間の流れのザラつきを、私たちの感覚は「生きづらい」と捉えます。

ここも本当に「積み上げ」なのです。

でも、大丈夫です!

生きやすさへとシフトしていく方法は、確かに存在します。

その方法とは

自分の内側に矢印を向け、自分の心の動きを観察し、そして「共感」と「寄り添い」です。

自分は本当は「どうして欲しかったのか」、本当は「何がイヤだったのか」

ご自身の内なる声を、どうかどうか聴いてあげてください。

それを自分に対してしてあげられるのは、自分だけなのです。

そして「否定をせず、一旦受け入れてあげる」こと。

人からされて嬉しかったことは、自分が自分にしてあげても本当に嬉しい気持ちになるものです。

そして段々と日常で「許せない!」とか「ムカムカ、イライラ~~!!」が、確実に減ってまいります。

ただこれは、ほんとにほんとに「言うは易く行うは難し」です。

私自身もそれが出来なかったから、且つてカウンセリングに倒れ込んだのです。

◆私たちが自分の未来のために、できること

もし過去の記憶や感情に呑み込まれる時間が長く、動かないボートで荒れ狂う水面に漂っている毎日なら、カウンセリングという場でカウンセラーと一緒にあなたのオールを探してみませんか?

あなたのオールは、元々ボートにあったのです。まだ付近にあります。

だから必ず見つかります。私も一緒に探します。

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。