現在進行形【2024年1月24日 母への介護手配始まる】⑥~だからね、人が離れていくんだよ、お母さん~

毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。

今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。

親との連絡断絶から4年を経て、今年1月下旬からまた接触再開した私と母の関係 + 現在進行形で手配中の高齢者介護の最新公的サポート体制なども本編に織り交ぜながら、書いていこうと思います。

心理的な解説も交え、介護に関係ない方にもお楽しみいただける内容となっております。

◆このブログのポイント 

 担当が相談員HさんからケアマネージャーKさんへ

 叔父(母の弟)逝去から発覚した、母の借金

では 1つづつ、説明してきますね

どうか必要な方に、届きますように。

ざっとこんな感じです。↓

・2019年3月~12月 親への怒りから私がカウンセリングに臨む

・2020年2月4日  コロナ直前、実家へ帰省

・2020年7月20日~8月頭 母との連絡を断絶開始  

~序曲~①https://original-ownlife.com/blog-2024-05/

~序曲~②https://original-ownlife.com/blog-2024-06/

・2022年10月22日 ギャンブラーな父、逝去(私、コロナ禍にて日本へ帰国せず)

・2024年1月20日 母との再会 ←連絡断絶後の母との再会(認知症と歩行困難)
https://original-ownlife.com/blog-2024-07/

・2024年1月24日~ 母の介護手配開始 ←④相談員との出逢い~〇〇したもん勝ち!
https://original-ownlife.com/blog-2024-08/

・2024年3月21日~ 母、介護保険取得 ←⑤自分の命を人質にする、という脅し
https://original-ownlife.com/blog-2024-09/

・2024年4月9日  母にケアマネジャーが付き、介護プランが決まる←⑥このブログ、ココ

・2024年4月11日 介護プランを担う様々な事業所と母が契約開始←⑦毒親運営の機能不全家庭で最も欠落している要素とは?
https://original-ownlife.com/blog-2024-11/

◆ポイント⑮ 担当が相談員HさんからケアマネージャーKさんへ

相談員さん、ケアマネさん、何がどう違うの?となるのは仕方ありません。

私も父の介護手配や福祉大学(通信学部)で学ぶまでは、実によく分かりませんでした。

簡単に説明しますね。(下記の説明は「高齢者福祉」に特化した内容になっています)

【相談員】
市町村から定められたエリアの高齢者介護窓口となる地域包括支援センター(市町村の出先機関)に連絡をすると先ず出逢うのが、相談員さんです。主に「社会福祉士」という国家資格を持った方です。

介護対象者がいる家を訪問し、居宅環境や介護対象者の様子や家族構成を把握し、介護認定を取るところまでが担当範囲です。

【ケアマネージャー】
介護認定(要支援〇や要介護〇)を取得した高齢者に適する介護プランを決め、それを運用管理するのが仕事です。ケアマネージャーもまた、国家資格です。

相談員さんからケアマネさんへの委任時には、幾つかのケースがあります。

主に下記の通りです。(私の知る限り)

1. 相談員さんと同じ地域包括支援センターに所属するケアマネさんを、相談員さんが紹介してくれる

2. 介護対象者がすぐに施設に入るような状態であれば、その施設や施設グループに属するケアマネさんが担当になる

3. 相談員さんが、個別に介護対象者やその家族にマッチしそうなケアマネさんを探して紹介してくれる

など

これも介護対象者の家族として「要望」を出せます

全ての要望が通るか否かは分かりませんが、少なくとも「こんな方だと嬉しい」「こうして欲しい」と意見を言いましょう。

このケアマネさんとのお付き合いは、最長で介護対象者が逝去するまで続きます。

◆ケアマネさん選びに私が出した要望

・ネットとスマホが普通に使える方

・「家族立ち合い」必要時に、海外からzoomやLINEで参加OKして下さる方

お世話になった相談員Hさんからは「自分所属の地域包括支援センターには、そういうケアマネはいません・・・ちょっと時間ください」と連絡があり、しばらくしてケアマネのKさんを紹介してくださいました。

よって母の場合は、上述した3のケースで有難くケアマネさんが決まった次第です。

私の母国語である関西弁でしかこの感動は表現できないのですが「これまた、えらい ええ人 紹介してくれはりましたや~ん!」

もうサイコー👍 相談員Hさん!これ以上ない人選です😊💕 本当に感謝しております。

ケアマネKさん、母の自宅からほど近い場所にある福祉事業所に所属する40代(だと思う)男性。

実に合理的思考を持ち仕事も速く、気さくで親しみやすい感じの方です。

このケアマネKさんに担当してもらう高齢者方々は、彼に息子のような親近感を覚えるんだろうな、と想像します。

この方、通常のケアマネージャー資格の更に上にある主任ケアマネージャーを取るべく、日々努力されているとのこと。前向きにご自身の専門性を高める姿勢、素晴らしいと私は感じました。

介護対象者はまずこのケアマネージャーと、契約します(芸能人+専属マネージャーみたいな関係になる)

3月下旬に介護認定で要介護1を取得した母とケアマネKさんとの契約締結は、4月9日昼に行われました。

私は香港からzoomにて、立ち合いいたしました。(私のようなこういう位置づけを、介護業界では「キーパーソン」と呼びます。要は、福祉側が介護についてのアレコレを相談する親族代表、という位置づけです)

そしてもし介護対象者に認知症などが無く通常の判断能力があれば、本人+ケアマネさんで介護プランを決めていくことになります。

実際には相談員さんからケアマネさんへ委任する段階で、ある程度介護プランの大枠は考えてくださっており、ケアマネさんから介護対象者本人やキーパーソンに提案という形で出されます。

それをこちらが承諾し(勿論、こちらの要望も聞いてもらえます)、様々な介護サービスを担う幾つかの事業所と介護対象者が本人の年金口座を以て直接契約という流れです。

(介護対象本人の認知症がどんなに進行しても・・・これなら代金回収大丈夫!という国の政策です。年金って生きている限り、支給されますから)

母の実際介護プラン詳細は、次回書きますね。

概要としては「見回り」「月一の医師往診」「月一の薬局からクスリ配達」「週一デイサービス」です。

◆ポイント16 叔父(母の弟)逝去から発覚した、母の借金

長く入院していた母の実弟がもう長くない、という連絡が親戚から入り、少しボケながらも母が自力で京都の実姉のところへ行ったのが3月4日。

認知症初期って直近の早期記憶は失われますが(いわゆる度を越した物忘れ)、過去の記憶はあります。母にとって、実姉宅への道順は過去に繰り返し訪ねていた記憶。

臨終間際の実弟とも姉妹で話せたようで、何よりでした。叔父は母と仲が良く、病床で喜んだことでしょう。

実弟(私の母方叔父)は、それからしばらく経った3月半ばに逝去しました。

シャレ者で新しいもの好き。日曜大工や機械いじりなどが得意で、一風変わった何だかサイケな人。そのはみ出し感がちょい悪でカッコよく、私もこの叔父が好きでした。

1970年代の日本、一億総中流時代。

町中が白いセダンで溢れていた頃、この粋な叔父は颯爽と四駆のパジェロに乗っていました。

そして母ですが・・・3月4日からず~~っと実姉の家におり、実弟のお通夜や葬儀が終わっても全く自宅に帰ろうとしません。3月下旬には、介護認定の結果が出るのに。

そして毎日のように、母と実姉は感情的なケンカを繰り返しているとのこと(という様子を、従姉がLINEで私に教えてくれました)

母へは、従姉経由で「介護認定の結果が出る。早く家に戻るよう」伝えてもらいました。

叔父の葬儀に際して従姉と久しぶりにLINE通話で話せたりして、私はとっても嬉しくて😊

叔父の昔話などしながら、つい長電話となってしまいました。

そして電話終盤に従姉が、ぽつりぽつりと話し出したこと

「おばちゃんな(私の母)、うちの母に10万円借金してて、半年以上ずっと返さんのやて。それをうちの母が言うと、おばちゃん(私の母)えらい怒るんやて。うちの母も最近物忘れ激しいんやけど・・・毎日日記つけてるから(借金は事実だと思うよ)。エミの借金違うのに、ほんまにごめんな、こんなん言うて。どうか気ぃ悪ぅせんでね」

いや~~~ 言い難いことを良くぞ言ってくれました!ありがとう、従姉さん。

私にそれ言うの、すごくすごく勇気要ったよね!

叔母(母の実姉)には、何十年もに渡り日記をつける習慣があります。

私はそれを、知っております。

1年に1~2回、私が帰国時に叔母の自宅に顔を出すと、しばしば日記帳をめくりながら「ほら、エミが前回来てくれたこともちゃんと書いてあるの。嬉しいからね。今日も書くよ~」と言うからです。

◆何度も言いますが「人の在り方」は変わらない

「在り方」というのは、広義では「生き方の習慣」と言えます。

性格や人格では、決してありません。もっと平たく言うと「言動グセ、思いグセ」です。

習慣を変える一番最初のステップは、自身にそういう「習慣がある」と自覚すること、です。

習慣とは意識せずとも自然に出来る言動や思考だからこそ「習慣(クセ)」なのです。

「なくて七癖」と言うのは、本当に言い当て妙です。

そして母の金銭管理の杜撰さは、私が一番身に沁みて知っております。

実際2012年2月父が糖尿悪化で下肢切断の際、母に無心され私が送金した50万円。これも数年のうちにうやむやにされておりました。2020年夏に母と連絡断絶する際、取り返しましたけどね。

ほんと、貸した方は忘れないものです。

従姉から借金のことを聞いた翌日、すぐに従姉の口座へ10万円返済しました。

もちろん残高乏しい、母自身の口座から。

借りた金は、自分で返す。

もっと言うなら「期日までに返す」

もっともっと言わせてもらうなら「返すアテの無い金は借りない」

全て、ごく当たり前のことですね。

母よ、あなたはギャンブラーな伴侶から何も学ばなかったのか??

前回のブログにも書きましたが、認知症有無ではなく「人の在り方」は本当に変わらないのです。
https://original-ownlife.com/blog-2024-09/ ⑤~自分の命を人質にする、という脅し~

◆もう2つの事件

この2つの事件からも「母の在り方は変わらない」が、伺えます。

事件①

3月4日実姉の家に行く際、母は自宅から最寄り駅(2つある)まで電動自転車で行った(らしい)のですが、どの駅のどの辺りに置いたか全く不明。つまりは紛失です。

「帰りは、乗って帰って来てないん?行きは、どの辺りに停めたん?」と母に電話で質問すると、「弟が死んだのに!!!そんなん覚えてるわけないっ!!!人をボケてるみたいに言わんといてっ!!」と、逆ギレ。

いや・・・ボケてるやんね。

ギャンブラーな父亡きあと電動自転車は母の唯一の足なので、幼馴染に頼んで探しに行ってもらおうかと思ったんですけどね。従姉も「場所、言うてね。うち、軽トラあるよ」と言ってくれてたし。

や~めた。

事件②:母が実姉宅からやっと自宅に戻ったのが、3月21日。

その翌日、私のLINEに妹から「実家の玄関ドア、壊れたのか鍵が閉まらん」

母に電話して「いつから壊れてるん?ドア自体が閉まらんの?」と聞くと、「知らんっ!!姉さんの家から戻ったら、こうなってたっ!!!」とまた逆ギレ。

そんなわけ、ないやんね。

はぁ、不用心やし、状況確認して修理業者さん数社から見積もりを取ろうと思ってたんやけどね。

や~めた。

業者さんには母宅に行ってもらってから報告もらおう~っと。なら、言い値で支払いですが、仕方ないですね。

ここで「や~めた」と終われるのが、以前の私とは全く違う点だと思います。

もう迎合しない。

改めて「短気は損気」を、学び直した気分です。

2019年カウンセリングに臨む前の私は、母がキレると「私の言い方がマズかった」と反射的にそう思っておりました。(思考グセ)

◆母の生き方を見ていて、思うこと

「伴侶のせいで、私の人生はめちゃくちゃだ!」のように、何十年も何かや誰かのせいにして被害者ポジション死守の人(うちの父母や妹も)、でもその対象者から決して離れようとしない人 (これ、共依存)

こんな人の周りには、必ず誰かや何かとの「諍い」(いさかい)や「不仲」という「不調和」が日常のそこらかしこにあります。

観察してみてくださいね。

母 + 父→父逝去後は→母 + 私の妹→妹が離れて行った後は→母 + 母の実姉 のように、途絶えることなく続きます。

よくもこう、相手が見つかるもんですね。何か探知機みたいなん、付いてるのか?

というか、何も無いところにわざわざ自ら諍いを起こす というのが事実かも。

ここは色んな見方ができるのですが、例を挙げると

・自分の生きるチャンネルが、不調和を「好む」ブラックエンジン・ゾーンにある(だから同チャンネルの人と繋がる。類は友を呼ぶ から)

・争いや不調和により自分が虐げられないと、被害者で居られない(穏やかで満たされた被害者って、いないもんね)

・不調和を孕むトゲトゲギスギスの上下関係でしか、人と繋がれない(人が離れていくと「見捨てられ不安」が発動するため、それを避けるためならシンドイ繋がりも厭わない)

・不平不満、ヒステリックな逆ギレをしていたら、誰かが心配して自分から離れないでいてくれる

私、実に長年に渡り母に対してご機嫌を覗い、ご機嫌を取り、この助長をしておりました、はい。

こんな感じに毒親の生き様を眺めてみると、私たちもまた新たな視点を持つことが出来るかも知れません。

周りにいつも誰かしら敵がいる!と感じる方。

人間関係でヘトヘト、と感じる方。

その日常はいつも緊張に満ち、常に誰かから攻撃される前提ではありませんか?(母の場合は、だからこその先制攻撃)

◆それ、自己防衛です

そのシンドさ、あの家で幼き頃からご自身の命を護ってきた「鎧のせい」(自己防衛の習慣)です。

私たちは成長し、今や大人になりました。親に依存せずとも、衣食住を自ら手配できますね。

そんな私たちが幼き頃着込んだ鎧は、もうサイズアウトしているはずです。

鎧は既に、ちんちくりん で つんつるてん なのです。

カウンセリングにて「自分の本当の想いを知る」練習をしていくと、だんだんとその命の鎧を手放していけます。

最初は傷みを感じることもある、この練習。一定期を過ぎた頃から、痛くなくなります。

それは「私がやっと私を分かってあげられた」から。

「やっと、やっと、私が私を救ってあげられた」から。

その時が来たら「鎧のせい!」とはならず「鎧のお蔭で生きて来れた~」という穏やかで丁重な感覚に至るのでは、と自身の体験から思います。

これ実は、機能不全家庭で不安定な親との関係により内部分裂してしまっていた(私たちが自らの命を護るため、そうせざるを得なかった)、自分との仲直りなんです(自己受容からの自己統合)

「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。