毒親の因縁を断ち切って自由なあなたを生きる「オリジナルライフメソッド」香月映見です。
今日もブログを読んでくださり、大変ありがとうございます。
このブログを読んでいると「だから私が悪いというのか!?」という想いが出てくる方もいらっしゃるかと思います。
結論:違います。あなたは何も悪くない のです。
なのでね、「私が悪い」が出てくるたびに、その想いをそっと脇に置いてあげて読み進めてみてくださいね。

その上で
自分の「いま」は、良くも悪くも今まで生きて来た過去からの 1分1秒1時間 24時間 何ヶ月 何十年の全ての積み上げだ、という視点で読んで頂けますと、新たな気づきがあるかも知れません。
そして
それを積み上げてきたのは、他でもない「自分」なんだ。
「ただただ実際にこの何十年もの時間を、私は確かに息をしながら生き抜いてきた」という【事実】を以て俯瞰いただけると、嬉しいです。
◆自分が感じる「不快」に、どう向き合っていますか?
同じ時間を生きているはずなのに、なぜかどんどん輝きを増していく人と、過去や他人の言動に縛られて、その場に留まり続けてしまう人がいます。
その違いは、才能や環境の差だけではありません。勿論あなたの性格や人格の問題でも、ありません。
ただ
「自分自身や周囲の出来事と、どう向き合っているか」だけです。
もっと言えば
「自分の心が『不快』を感じる出来事に、そもそも『わがごと』として向き合うことが出来ているか」という、日々の意識習慣の違いにあります。
今日は、私たちの「いま」を創りだす「3つの生き方」について、書いてみようと思います。
1. 反省だけで終わる人:沼るループ
まず一つ目は、「反省だけで終わる人」です。
一見すると、「反省ができるのは素晴らしいことではないか」と思われるかもしれません。
確かに、自分の言動を振り返り、省みることは必要です。
言い過ぎた・・・やらかした・・・と思ったら、素直に謝ることも人間関係では必要です。
しかし、1で問題なのは「反省が目的になってしまっている」 + (自分責め) をしてしまっていることです。
- 「どうして私はあんなことをしてしまったんだろう」 + (何やってるんだ!?またか?バカじゃないのか?)
- 「あの時、ああすればよかった」 + (またか?お前はいつもそうだ!だからお前はだめなんだ!!)
( )のところは、無意識です。無意識に自分が自分に掛けている言葉です。

よ~く自分の内なる声に、耳を澄ませてみてください。
気づこうとしてあげなければ、私は自分たちの無意識の「自分責め習慣」に気づくことが出来ません。
このタイプは、強烈な自己否定を含む自省 という行為そのものが目的となってしまっているため、「だから次、私はどうしたいのか」がありません。
とどのつまりは自問自答の堂々巡りなので、どう頑張っても自分の思考や体験以外のところから出てくる答えも無かったりします。
繰り返すごとに心身疲弊し、世界中が敵だらけ!となり、地底奥深くに落ちていくような閉そく感に包まれて行きます。
2. 批判・批評・悪口だけで終わる人:エネルギーの大浪費
2つ目は、「批判や批評、あるいは他人の悪口だけで終わる人」です。
このタイプの人は、わがごと として向き合うべき出来事に於いて、自分の意識の矢印が常に「自分以外」に向いています。
- 「あの人は間違っている」 + (あいつのせいだ!あいつさえいなければ!)
- 「会社や社会が悪いから、うまくいかないんだ」 + (もうどうしようもない、人生オワッタ)
同じく ( )のところは、無意識です。無意識に自分が自分に掛けている言葉です。

例え主語が「あいつ」や「社会・会社」などだったとしても、私たちの潜在意識は一人称しか認識できないため脳内では
「お前が悪い、お前なんかいなければいいんだ」
と変換されてしまいます。
自分以外の他人や環境(社会・会社など)を「絶対悪」だと裁くことで、一時的な優越感や正当性を得て「一瞬スッキリ」したかのように感じます。
しかし怒りはくすぶり続け、自分の中でその炎が消えることはありません。
悔しさ、憤りは事あるごとに自分の中で段々大きくなり、自分の持てるエネルギーを全てそこに燃料投入し「わざわざその炎を維持」する意識習慣となります。

それは 憎しみ→恨み→呪い へとあなたの中で変化しながら増幅・増殖していくでしょう。
そして前述した脳の特性から、この強く重い感情をモロに被るのは他でもない「自分」なのです。
結果、自分の人生を送る気力・活力が大幅に割かれ、心身の健康を損なってしまう方もいらっしゃいます。
なぜそこまで怒りの炎を絶やさないようにするのか?
それはあなたが「納得いかない」からです。
◆3から次の状態へ
すご~くエネルギー消耗する→でも日々生きて行かねばならない→もうヘトヘトになり「可哀想で悲惨な目にばかり遭う私」という自己憐憫へシフト。
自己憐憫は「可哀想でどうしようもない、大切に扱われない私」が前提ですので、その前提通りの人生と成っていきます。

やはり「味方なんて一人もいない」、もういっそのこと消えてなくなってしまいたいほどの孤独「独りぼっち感」が自分の中に充満します。
この生き方にも「だから私はどうしたいのか」が、ありません。
そんな気力・活力は、もう自分の中には残っていないからです。
そして恨みや自己憐憫に自らのエネルギー消耗しすぎた先にあるのは、恐らく「絶望」という状態です。
3.反省から「私はどうしたいのか」に繋げられる人:自分への信頼
最後は、「反省を学びとし、変化・成長へと繋げる人」です。
この人たちの共通点は、「過去を変えることはできないが、未来は自分次第だ」という事実を感覚として理解していることです。
今までの一分一秒を積み上げてきたのも自分ですが、今から始まる一分一秒をどう積み上げていくのもまた自分だからです。これもまた【事実】です。

このタイプの方の「反省」は、自分を責めたり他人や環境を裁く道具ではありません。
単なる「次回の改善に使うためのデータ収集」です。
- なぜ失敗したのか? + (辛かった、シンドかった、キツかった、もう嫌だ)
- 次に同じ状況になったとき、私はどうして行こうか? + (きっと大丈夫だ)
同じく ( )のところは、無意識です。無意識に自分が自分に掛けている言葉です。
つまり「出来事」という事実のみに於いて自分の言動を反省し、辛かった気持ちを自分で受け止め、「次はどうしようか」「次はどうしたいか」とまた立ち上がろうとします。
◆1と2 & 3 何が違うのか?
誰が見ても「3だと、人生上手くいく!」のは分かるけど、(でも・・・だって・・・)
の ( )が無意識にでてきませんか?
ここに「あなたが大切にされなかった過去の出来事」が数えきれないほど詰まっておりませんか?
まるで本棚にずらりと並ぶ本の背表紙のように「悲しかったこと」「悔しかったこと」「出来なかったこと」「どうにもならなかったこと」「否定されたこと」「一蹴されたこと」「裏切られたこと」などなどのタイトルで、あなたの胸に収められていませんか?

3に対して(でも・・・だって・・・)が出てきてしまうのは、あなたがそれらの出来事に
「納得できていない」からです。
そしてその「納得できていない」ことが全て、あなた自身の自己存在価値と直結しているからです。
ここを解きほぐし、【自分は何も悪くない】と体感・実感できるようになるのがカウンセリングです。
なぜならそれこそが、【事実】だからです。
◆誰しもが、120%のエネルギーを自分の中に内包している
3の生き方ができるエネルギー、実はあなたの中に既に内包されています。
上手く自分のために使えていないだけなのです。これもまた【事実】です。
私で良ければ、あなたの「納得いかない!」背表紙の本を、沢山読み聞かせてください。
そこには閉じ込められたあなたの本当の想いが、これでもかと埋まっています。
私も何度も何度もこの作業をカウンセラーと共に行い、いまカウンセラーをしております。
「一度話してみよう」と思われる方、私はそのあなたの勇気に敬意を払い、
心から歓迎し精一杯あなたに伴走させて頂きます。

